知能、お金、容姿。○○だからいいってもんじゃないという不思議な理屈。

ルチアーノショー寄稿ブログ

知能指数とはとてもおもしろい位置づけにあるように思える。
調べれば調べる程、「お金」「容姿」のテーマに似ている。

例えば知能指数を話題にしたコミュニティなどを覗くと、5件に1件くらいだろうか、必ずと言っていいほど「知能指数でその人の社会的成功、人間性までは測定できない」「IQが高けりゃいいってもんじゃない」という発言を見かける。

知能検査とは知能を測って指数化しているだけで、社会的成功や人間性を測定するためには作られていない。
また指数は目安であって、例えば政府が発表する「景気動向指数」が上向きだからと言って皆が景気が良いわけではないのと同じだ。

体重を量って「身長までは測定できない」とも言わないし、ソムリエの試験に合格した人に対し「それで人生うまくいくとは限らない」とも言わない。車の免許取った人に「車が運転できればいいってもんじゃない」とも言わない。もし言うとすれば単に性格悪いだけじゃないか(笑)。

それに比べて、知能指数、お金、容姿というテーマは、何か特別な意味を持つかのような感情、思想を見聞きする。
ほとんどの場合「嫉み・やっかみ」として片付けられているようだが、私はそのまま通り過ぎることのできない何かを感じてならない。

お金は置いといて、容姿と知能は先天的な優劣に大きく影響されるからだろうか。
一般的な世の中では、「持って生まれた才能」(先天性)とは嫌われる(応援されない)傾向があり、一方で生まれた後「努力で手に入れたもの」(後天性)は受け入れられやすい傾向がある。
6ページのダイエットの例のように、努力も認めない人が多いが。

※天才が努力をしないわけではなく、多くの場合天才の方が努力をしているようにさえ思え、熱中して没頭しているので「努力」に見られないだけであり、それは周囲の感性・観察力の問題でもあるんじゃなかろうか。同じく容姿のいい人達が、美貌やスタイルを維持するために、毎日ジム通いなどどれだけの努力をしているかと考えると、先天的なギフトに加え、なおかつ後天的な努力さえも加わるのだから、本来は賞賛に値するはずだがそうはいかないようだ。

日本の均等主義の教育を受けた人ならそうなってしまって当然だろうという「環境」と、「心情」という側面から見れば頷ける点もあることはある。

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ドラマや映画、日本ならマンガなども、昔は特に「血と汗と涙の結晶」ものが人気があったが、近年その傾向は薄れ、特殊な才能の持ち主が登場することが多い。この「流れ」の代表例として、マンガの世界では「巨人の星」に対し「キャプテン翼」が非常にしばしば(Very often的な)比較対象として持ち出される。

アメリカのドラマで言うと、例えばナンバーズの「チャーリー」や、メンタリストの「パトリック・ジェーン」、ライ・トゥ・ミーの「カル・ライトマン」、クリミナル・マインドの「スペンサー・リード」「ペネロープ・ガルシア」などが筆頭だ。

最近では「スコーピオン」というドラマの「トータルIQ 700の天才集団(4人組)」というキャッチコピーさえある。実在し主人公となった「ウォルター・オブライエン」はIQ 197とされているが、劇中で「世界で5本の指に入る」という紹介があり、標準偏差16
(Stanford-Binet scale)の値(約15億人に1人)かと思われる。標準偏差15で計算すると約190億人に1人の確率となり矛盾が生じる。しかし、海外の記事では、IQテストを受けたのが9才の時とあり、幼少期向けの精神年齢考慮型の検査だった可能性も高い。
このドラマではIQが高い人はEQが低く、一般の世界が理解できないと演出しているが、実際は育った家庭環境による。アインシュタインがIQ 160であるという説もこのドラマが出所のよう。
※いずれもアメリカのドラマ。

その他、ブラックリストの「レイモンド “レッド” レディントン」や、ホームランドの「キャリー・マティソン」も、「才能」をうたっているキャラではないが、明らかに天性の能力によって「個」の力を魅せつけている。特にブラックリストにおけるレディントンと主役のエリザベス・キーンの関係は、映画羊たちの沈黙の「ハンニバル・レクター」とジョディ・フォスター扮する「クラリス・スターリング」の関係に似ており、非凡なもの同士の「引き合う、惹かれ合う力」にスポットを当てている。クラリス役のジョディ・フォスターがメンサの会員であることもまた趣がある。

この数年の傾向として、「特殊な才能」を持って生まれたことによる「苦悩」を事細かに描写することも少なくない。
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が、しかし。
「足が速い」という才能についてはあまり批判も嫉妬もされにくい気がする。
「足の速さ」は、典型的な先天性の才能だと私は思っている。100メートル走において、努力によって15秒から14秒に縮めることはできても、「10秒」になると「可能性のある人」は予め決まっている。バレリーナと同じく、運動能力に加え、体型自体がその可能性を定める要素となっている。
だが「足が速けりゃいいってもんじゃない」とか「足の速さで社会的成功、人間性までは測定できない」という批判は聞いたことがない。

恐らくは、足が速くても儲からないからじゃなかろうか(笑)。
社会に出て「ほぼ使わない」能力だと割り切っている(少なくとも自分と争うことはない)ので、自分の領域を侵される心配がないため素直に受け入れられるのだろうと分析している。

だとすれば、知能やお金、容姿という要素は「関係ない」とは割り切れない、何か自分の領域に踏み込んでくる(存在を脅かす)可能性のあるものとして恐れられている(潜在意識的に)のではないだろうか。その「恐れ」が拒絶反応を生み出してしまい、黒塗りのベンツ=ヤクザのような早く決めてしまいたい(実体を確定させたい)といった心境と類似点があるように思える。陰謀論しかりだ。

そこで「知能」というカテゴリの中の1コマである「メンサ批判」はどうだろう。
「行列推理では知能は測定できない」と言えば確かにそうかもしれない(本来の検証テーマはこれだった)。
ならば「高スコアWAIS-III集団」を創設すればいいんじゃないかと思うが(あれば私も入る)、メンサ以外の高知能団体は出てきては鳴かず飛ばずのままに休止・消滅していっている。それが世の中の現状だから、ならば“「高スコアWAIS-III集団」があればいいってもんじゃない”というアングルの切り替えは見受けられない。

アーティスト達が言う「売れりゃいいってもんじゃない」というソレと同じ感じだろうか。
売れなきゃいいってもんでもないので、元々意味をなさない言葉だ。

例えば、非常に有名かつ巨大な名だたる会社の面接に行き、「水着になってください」と言われたら、なんとなくその会社の方向性と、求められている人材に勘づくだろう。嫌なら断るという選択肢が与えられている。そこで無理して水着になっても(その結果落ちる可能性もある)、入社後の先が思いやられるなら引き返すチャンスだ。一方、水着の方が自信があるという人もいる(この存在を無視してはいけない)。「えっ、スタイルが良ければ入社できるんですか!?」的な。筆記試験はいいが、人前で話すのが苦手で面接が恐怖という人は多い。電車の中手に汗握り、面接会場のドアを開ける手が震えていた人も、水着でチャンスがあるならばとパッと顔が明るくなることだってあり得る。モデル業からの転身なら言うまでもない。

メンサも試験問題を見て「違うな」と思えば、合格しても入会しないという選択肢が与えられている。
必要とされている要素を自分が持っているかいないかだ。

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スカイマーク社のミニスカートの制服についても思ったが、私はそれはそれでいいと思う。全員統一になれば混乱はあるだろうが、希望者のみを対象にしていたのだし、別枠でもっていてもいいと思う。
スタイルがいい、顔がいいというのも、地球が宇宙が(神さまでもいいが)与えたギフトなんだから、それを他人が足引っ張って引きずり下ろして、自分と同等以下に押し下げる必要性を感じない。あらゆる能力が公平に評価されるべきだ。
ある力に虐げられて、屈服させられている状況は長く続かない。必ず解放へと向かい、そのエネルギーは押さえ込まれていた時間が長ければ長い程強大になることは歴史が証明している。

さもなくば、いずれとても都合の悪い統計が証明される可能性がある。

美貌の持ち主は高IQという事実が判明
http://rocketnews24.com/2011/01/20/美貌の持ち主は高iqという事実が判明/


私に美貌が備わっていないことは、飽くまで統計上の誤差だと考えていただきたい(笑)。

私の知る美女はなぜか決まってお洒落で頭が良くユーモアがあって性格がいい。
ディナー中に「綺麗だね」と伝えたら、後ろを振り向いて、しばらく見渡して「もう行っちゃった?」と聞いてくる程、自分のことだとは微塵も思わず、決して「美人」を鼻にかけたりしていない人とか。
ルブタンのような高価でとても高いヒールの靴をプレゼントされても、自分の脚が綺麗だからだとは全く気付いていない人もいる。
いずれも私から見れば余裕で上位0.02%くらいだ。
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その面接が、自分の思っていたものとは大きく異なっていたとしても、電車賃分ほども価値を見いだせないのならば、それは物事から価値を見いだし、意味をもたせる能力がないだけじゃないかと私は思う。
1万円札1万円の価値にしているものは、決して物質の価値(価格)そのものではない。約22円だから。他に使い道のないただの紙切れだ。
思想、理念が生み出した法治国家における「法律」が1万円を1万円たらしめている
※外に出て見れば、相場が対外貨における1万円の価値を決めている。

だからこそ「面接に行ったら水着審査で驚いた。私は断ったけど、電車賃払っていった甲斐があったよ。お酒のネタにもなるしね!」という人もいる。感性の領域だから。
そしてブログのネタになり、それが拡散され、いつしか出版の話が入り、電車賃どころか会社で働いて得られる給料以上の利益を生み出す人もいる。

思想次第で、物事の価値は変わる。他人との話し合いや多数決で決まるわけではなく、自分の心情こそが物事の価値を決めている。

メンサの行列推理も同じじゃなかろうか。
「これで測定する会なのね」と思えば、そこから先は選択の自由が与えられているのだし、他の団体を創設するのもよし、私のように全額負担でWAIS-III検査を受けてみるのも良し。他人の領域はそのままでいいはずだ。

が、なぜか決まって批判の先には「IQよりもEQの方が重要だ」という流れになる。
恐らくそれは「IQ」は高くて「EQ」が低く、社会に適応できない人に対する当てつけなのだろうが、IQもEQも高くていいんじゃないだろうか。今人類は、どちらか一方を選ぶしかない状況におかれていない。容姿も兼ね備えたスポーツ選手の方が増えている。
少なくとも私はEQテストにおいて、最高点以外どうすれば出せるのかわからないので、どちらで評価・検証されても結果は変わらない。
ただ、そもそも世界標準のEQテストというものはなさそうだから、現時点ではただのアンケートレベルに留まっている。

そう考えると、知能、お金、容姿などについて見られる批判とは、何かしら心の奥底にある感情が言葉になって出てきているように思える。

背が高い人に向かって「身長よりも体型の方が重要だ」というすり替えにしか私には見えない。
もっと言うならば「足が速い」人に「速く走ることよりも、速く考えることの方が重要だ」と言うようなものではなかろうか。
足が速いから考えるのが遅いってわけじゃない(笑)。

余計なお世話ですな(笑)。
人は人。自分は自分。自分の持っている能力を伸ばせばいいはずだが、なぜか他人の能力を扱き下ろそうとする人が多いようだ。

お金の話になると「お金で愛や幸せは買えない」(お金があればいいってもんじゃない)という発言が出る。
容姿の話になると「顔なんてすぐ飽きるから、人間は心よ」(容姿が良ければいいってもんじゃない)という発言が出る。
同じようにIQの話題では、「IQじゃ●●は計れない」(IQが高けりゃいいってもんじゃない)という発言が多い。

どこかで偏見、思い込み、勘違いが入ってしまったんじゃなかろうか。

お金と聞いて「幸せは買えない」と浮かぶ人は、恐らく誰よりもお金を過大評価している
「陰謀論」のほとんどがアメリカが首謀者になっているソレと同じくらい。
アメリカならそれを実現できる可能性があると信じている証拠だ。或いは自分は信じていなくても、世間はアメリカならやりかねない(できる)と思っているという「強大なアメリカブランド」に便乗している。「シエラレオネ共和国の仕業だ!」(世界一貧乏な国と言われている)という陰謀論はまだ聞いたことがないことから、それだけ世の中ではお金があれば何でもできると信じられているのだ。

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陰謀論支持層については下記のブログがとてもわかりやすい。「黒塗りのベンツ」論で言えば、黒塗りでもピンク塗りでもベンツを購入できる家族ならば、黒いベンツを見てヤクザだとは思わないことと同じだ。

陰謀論への支持と年収の関係から見えてくること
http://k-kaya.com/archives/1040

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お金は道具であって、そもそもが愛や幸せを買うためのものではないし、愛や幸せという商品は売ってない。
※これはセンチュリオン(カード)ならミサイルも買える」「利用限度額がない(無制限)」という話に似ている。

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©DESIGNING 007 50 YEARS OF BOND STYLE
センチュリオンチタンカードとメンサ会員証(いずれも自前)。
お馴染みロンドン3丁目(笑)の女性が、“007” 50周年を記念して発売された限定本を、英国MI6(SIS)本部周辺の書店で購入して送ってくれた(笑)。貴重なダニエル・クレイグ扮するボンドのパスポートが掲載されている。ボンドも米アメックスのセンチュリオンカードを貸与されているがメンサの会員ではない。しかし私より背が高く、私よりも足が速い。


何に幸せを感じるかというのは、その人の感情であり、そこには生い立ちや考え、ポリシーなどが大きく影響する。
一生独身で愛はいらないから、ケーキを沢山食べられれば「幸せ」という人もいるし、自分の憧れていた車やバイクを買って、毎日「磨く」ことが幸せという人もいる。

「人生ケーキじゃない」「人生バイクじゃない」と言い出したら、それは単に他人の趣味・嗜好にまで踏み込んでいってケチつけているだけだ。

「容姿」すなわち「美人」(「ハンサム」でもいいが)についても同じだ。
「顔なんて、毎日ずっと一緒にいると飽きるよ。人は心」というおきまりのセリフ。確かに顔だけ見てればそうかもしれない。でも顔も良かったからって怒りはしない。決して顔では選ばなくても、顔も良いからってお引き取り願ったりはしない。毎日毎日おもしろくて読んでいたブログの著者が、たまたま美人だったとしても「そんなことなら、もうこれっきりで」と読者登録を解除する理由にはならない。

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この視点は「ベジタリアンと出された肉料理」(しまった、まだ書いてなかった)に詳しい(はずだった)。
アレルギーの人や宗教で食べない人は仕方ないとして、自らの意思としてベジタリアンになった人達に、私はいつも問いかける。
「なぜ肉を食べないのですか?」
「食べる(生きる)ための狩りと違って、今は人間の食欲(贅沢)のために意味も無く動物の命が奪われています。それに違和感があって」という人が多かった。
私は更に質問する。
「わかりました。お店に1人はベジタリアンだと伝えました。でももし間違えて肉料理が出てきたら食べずに捨てますか?」
多くの場合「食べずに捨てる」にひっかかってしまう。
もちろんレストランでディナー中、お皿から袋に移して、恵まれない子供達のところへ持っていくという選択肢はないに等しい。
「その場合は食べます。捨ててしまっては生命を粗末に扱うことと同じですから」という人と「絶対に食べない(店が悪い)」という人と、そのまま返事に困って考え込む人といる。
もちろん私は困らせたくて質問しているんじゃなくて、どういう思想なのかを知りたくて聞いている。
返事に困った人は「捨ててしまったら一緒ですもんね」と考え、そこから話が弾む事が多い。とても充実したディスカッションができる。
拒否していた理由は何だっただろうかと原点回帰する。
プログラミングで言う回帰処理(再帰呼び出し)思考と呼んでいる。思考途中で何度もスタート地点を呼び出し、本来の目的に沿った思考かどうかを照合していく。
*/

一方で「心(性格)」一瞬で飽きられてしまう人が妙に多くないだろうか(笑)。
いや、そっちの方が多い。
仮に同じ比率だったとしても、美貌の持ち主は次から次へとファンが出てくるのに対し、心に魅力のない人は、待てど暮らせど一向にファンが現れない(笑)。

※私は背も低いし、男として見た目で勝負に出られる要素がない立場として書いている。

「あなたの声がききたくて」「あなたと話がしたくて」と連絡をもらえる人が、どのくらいいるだろうかと考えると、想像の範囲でしかないが上位2%じゃないかと思う(笑)。
ならば美人(ハンサム)から話題を「心」にすり替えたところで、何が待っているのだろうか。

もし単に自分の得意領域に差し替えたいだけだとすれば、それはただの自分勝手だ。相手を受け入れた上で、自分の得意な分野について語るならまだしも。パーティーで自分が話題の中心じゃないと気が済まないタイプだ。

こうして考えると、いい人は沢山いるが、そこまで魅力的な人ってそういない気がする。
実際に本当に惹かれるような人って50人中1人くらいかもしれない。結局自分が感じる魅力の上位2%だ。

というわけで私は思う。
どの分野であろうとも大凡上位2%が「目立つ」存在なんじゃないかと。
ならば、自分の持つ能力をひたすらに伸ばせばそれでいいんじゃないかと思う。

/*
今は存在しない職業への準備――「21世紀型スキル」
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/column/20120508/1048402/


「2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」とある。今はスポットの当たらない能力であったとしても、この先どうなるかわからない。
*/

こうした、「潜在的な感情から発せられる矛盾した言葉」については、世界最高IQかつメンサ会員(List of Mensans)のマリリン・ボス・サバントの「イヤホンの話」がわかりやすい。

IQ世界一を誇るマリリン・ボス・サバント!IQの高い人間は世界がどのように見えているのか
http://bright-magazine.com/knowledge/545/


イヤホンで音楽を聴きながら車の運転をする娘に、母親は「危ない」と注意した。すると娘は「ラジオを大音量で聴いてても同じでしょ」と反論する。すなわち運転中のイヤホンとスピーカーの音はどっちが危ないかの議論だ。
そこでサバントは答える。
内容は記事を読んでいただくとして、イヤホンを選ぶ理由があるからスピーカーで聴かないわけだ。
娘は潜在的に(或いは完全に)イヤホンとスピーカーの違いを認識しているからこそイヤホンを選んでいるのであって、同じでしょ?という反論は理屈(笑)に過ぎない。
※改めて文字で見ると凄い言葉ですな、屁理屈(笑)。

でも世の中、この理屈によって議論がかき回され、若手を混乱させ(最後は呆れさせ)、テーマがすり替えられている。

6ページの宝くじの話に似ている。
「世の中お金じゃない」と言いながら、「宝くじが当たったら全ての運と過去の積み重ねを使い果たす」と怖がる。
宝くじが自分の生きてきた人生以上の評価だ。
そうじゃないでしょうと私は思う。本人が思ってるんだからしょうがないが。

もしコスト削減の会議などで、「君が40年働いても3億円を稼ぎ出すことはないだろうから、君をリストラして、浮いた給料を宝くじの購入に充てることにするよ」と言われたら、恐らく猛烈に怒るはずだ。
でも自分で自分の人生は宝くじ以下と思っているなら受け入れなくてはならないことになる。じゃなきゃ価値以下のものの押し売りをしていることになる。

残念なことに、リストラで浮いた給料の範囲内で宝くじを購入すれば、毎月確実なコスト削減が約束され、なおかつ確実に夢を見続けられるという点も約束される。宝くじは非課税だから3億円当たれば6億円以上の収入を得たことに等しい。

/*
3億円の現金収入があれば、所得税と住民税併せて55%が課税されるため、手残りは1.35億円。だから非課税の宝くじが3億円当たると、6.66億円の収入を得た際の税引き後手残り分に値する。
*/


「感情的矛盾」は宝くじでも見られる。
サッカーくじBIGは1等当選金が6億円非課税だから当選金は全部自分のもの。後日課税されることもない。
※不動産を買えば不動産取得税、固定資産税がかかるが、それはBIGの当選金に課税せれるわけではないので別枠。

もし仕事で得ようとすると、税引き後の手残りが6億円になるには13.3億円稼ぐ必要がある。
※BIG公式サイトで「年収2,000万円が30年間」という表現があるが、合法的に課税されない収益源が他にないことを考慮すると、あれは厳密には間違いで、年収2,000万円だと33.693%の所得税(もう少し複雑な計算だが)と10%の住民税、併せて43.693%が課税されるため手残りは1,126万円。よって非課税のBIGで6億円が当たると年収2,000万円の給与所得者相当の生活が53年間できることになる(各種控除は考慮していない)。

個人情報保護法が成立し長者番付が廃止された最終年2005年版の所得税納税額(住民税10%は含まれていない)と見比べてみた。

高額納税者(2005年版)
http://www.geocities.jp/glay_inui/nouzei2005.html


BIGの6億円=給与所得13.3億円を同義として考えると、所得税額が5.985億円(住民税別)の人と同じだから、それを超える人は2005年の番付の上位22人しかいない。
1.273億人の人口がいる日本における22人とは0.00001728%だ。
一方BIGの1等は1/480万の確率なので0.00002083%だ。

何と、BIGの方が簡単だという事実。
BIGはほぼ毎週1等が出ているからチャンスは毎週、10口買えば当然当たる確率は10倍になる。
※これはルチアーノショーで入社初期の頃に投げかけられる問いだ。
※ちなみに宝くじは1/1,000万の確率(0.00001%)。

が、世の中はどうだろう。
「俺は事業を始めて、13.3億円稼いでやる!」(給料でそれだけ取れるということは、少なくとも事業上の売り上げはその2倍以上が必要だろう)という志の若者と、「私は毎週BIGを買って6億円当てるわ!」という人のどちらを応援するだろう。
私が知る限りでは前者が応援される。

例え無謀であったとしても、知性より努力の方が認められやすいという点で今回のテーマに近いかと思う。
人は事実やデータよりも、自分の感情を優先すると言える。

前者が応援されやすい他の理由として、「13.3億円にはならなくても毎月100万円にでもなれば十分。それに比べ宝くじは当たるか外れるかしかない」という考えもある。また一度軌道に乗れば、当年のみならず翌年も翌々年も同じようなサラリーが得られるかもしれない。しかし、それは儲かる、儲かり続ける方向に考えた場合であって、上手くいかなかった時のことを考えると、雇用や家賃など、自己都合ではすぐには切れない経費がかかっていることを考慮する必要がある。その点ではBIGは「買わない」という選択にいつでも切り替えられるので、損失は少なく済む可能性が高い。
更には、初期投資を回収し、自分の給与(役員報酬)が取れるようになるまでの年数(そこに割く労力)などを加味すると、普通のサラリーマンをしながらコツコツとBIGを買うことも、あながち無謀ではない「挑戦」にも見えてくる。

/*
(A)月給20万円の人の所得税は10.45%。
(B)月給174万円の人の所得税は40.84%。
(C)月給357万円の人の所得税は45.945%。
3者とも住民税10%が別途課税されるため、20.45%と50.84%と55.945%の税金を払うことになる。
(B)(C)は1年の労働のうち半分の182.5日以上はお国のために働いていることになる。一方(A)は74.6日間のみだ。
本来、高額納税者とは批判されるべきものではなく、賞賛されなければならない立場にあるし、税収は高額納税者に頼り切っているため(上位20%が半分以上の税金をまかなっている)、
「格差」とは累進課税制度を望んだことによる結果でもある。一言で言うと囲われているのだ。よって先進的な層はフラット・タックス制度を支持している。
*/

このように、思考が一方向に傾いてしまうと何も見いだせないため、多くのアングルから検証する必要がある。
そのためにディスカッションが有用なはずなんだが、ハーバードやオックスフォードのような卓越した議論方法が浸透していない日本では、大凡感情論で終結してしまうことが多い。

そんなわけで、今頁では知能と感情という観点でありました。
次項は私と対極にある「東大首席」の言う「俯瞰力」について検証してみたい。

■現在 8/10ページ。
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■目次
 1ページ:噂のメンサは本当に高知能なのか。実験台になってみた。
 2ページ:WAIS-III ウェクスラー成人知能検査を受けてみた。全額負担で。
 3ページ:オンラインIQテストの信憑性をメンサ&WAIS-IIIと比較。
 4ページ:Cambridge Brain Sciencesをやってみた。
 5ページ:「上位2%」は100人に2人や50人に1人とは限らない。パラドックス的な。
 6ページ:知能レベルが高い人ほど人を信じやすく、低い人はあまり人を信じない?
 7ページ:言語性知能。片言の外国人との会話から考察。
 8ページ:知能、お金、容姿。○○だからいいってもんじゃないという不思議な理屈。 現在ページ。
 9ページ:東大首席の山口真由女史の言う「俯瞰力」とは。
 10ページ:頭と心、理論(Logic)と感情(Emotion)。
 あとがき:知能指数とは。良き理解者へ。あとがき。
 別冊:色盲とIQ。色が絡むとIQ(判断力?)が著しく下がる。
 別冊:知能指数(標準偏差15,16,24換算表)と出現率をエクセルでまとめてみた。
 別冊:国別のノーベル賞受賞者数とメンサ会員数。
 追加少年からのお便り。
 追加知能検査で天才を探す欧米と、診断目的でしか使用されない日本。
 追加学力偏差値でいうところの上位2%とは。
 追加IQ 162以上を正確に測定できるのか。唯一の解答者は「運命の人」なのか。
 追加賢い人、賢くない人の特徴。IQ、学力、知識を束ねるのは性格(感情)。
 追加天才とEQ。スティーブ・ジョブズのEQは高いのか。

Photographer&Engineer: Charlie
JAPAN MENSA会員
AEAJアロマ検定1級(笑)

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TEL : 03-3531-4851
1号赤坂店は2014年末で閉店致しました。

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by charlie-ls | 2015-09-15 09:08 | 【赤坂】ルチアーノショー寄稿ブログ | Comments(0)

カメラマン☆チャーリーのブログ


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