リブログ:目標をあきらめないために : 山口真由オフィシャルブログ
2016年 06月 27日
目標をあきらめないために : 山口真由オフィシャルブログ
http://www.mayuyamaguchi.com/archives/1058672055.html
とてもいいポストだ。言うまでもないことさえ言うまでもないが、頭が良くないと気づくことすらない世界が映っている。それと育ち。
眼球というレンズがとらえた映像も、どこにフォーカスを合わせるかは脳が決める。
脳の能力は、知能に加え、精神(性格)が大きく影響する。
精神には大方育った環境が投影される。
“育ち”は重要だ。
今の日本に武士道のような精神は見る影もない。他人を叩いて叩いて、それも集団で1人を叩いて。
ボクシングで言えば、みんなでよってたかって殴って、ダウンした相手を10カウント中も踏みつけて、ゴングがなって試合が終了してもみんなで唾を吐きかけて、小便をかけて、運ばれる最中も石を投げて、入院先でも写真やビデオを撮って晒して、その入院費があれば何人の人が助かるとか比較し、もし死んで保険金が入ったらその使い道まで指図するような。
連日新しい標的を見つけては叩き続ける。
いつからなぜそんなにこの人を憎んだのだろう(会ったこともないのに)と不思議なくらい攻撃する。
数年前、米軍の特殊部隊員が戦地で捕まり、集団暴行を受け公開処刑され、死体を車で街中引きずり回し、更には橋に吊される姿が現地放送で晒されるという悲劇が起きた。捕虜の扱い関する条約も何もない国だから、先進国や西側ルールが通用しないのは仕方がないが、人としてのルール(基本的人権とか)がない世界もあるのだなと胸を痛めた。
家族の事とか考えたら到底できることではない。
でもそれができるということは、家族も周囲の人も全員苦しめてやろうという域ではなかろうか。
今の日本の袋だたきブームに、何か似たものを感じる。
戦場では、親や先祖、家族や大切な人が他国の軍人に殺されたとか、それなりの理由があるかもしれない。が、今の日本人の排他性・攻撃性には大した根拠がなく、自分が不幸(といっても世界的に見れば十分に恵まれている)なのはこいつら(政治家など)のせいだと言わんばかりだ。全て人のせい。
手がつけられないまでに野蛮化している。
もはや同じ「人」同士の議論や戦いではなく、インドなどで見られる(カースト制度における)階級の違いから連日のように起きている婦女暴行事件のように、根底にある物の考え方の違いさえ感じる。
それがまさに格差なんだろうが。
幸せを感じ取る能力が欠けていると、自分だけが不公平で不平等な環境下で苦しんでいると思ってしまう。そして感謝すべき人にさえ、後ろ足で砂をもかける。不幸まっしぐらだ。
自分の代では手に入らない幸せもある。実らない努力もある。それを次の世代に希望を託す。次の世代に見果てぬ夢を託す。という心で育てられた人と、そうでない人では、この女史のポストの受け止め方もまた大きく違うのだろうなと思う。
世の中の上司や先輩達が新入社員や若者に向かって、
-引用-「何言ってんのよ。私はあなたたちを通して未来を夢見てるんだから。私たちの世代がつまずいた壁を、あなたたちはやすやすと超えていけると思ってるんだから」-引用-
と言ってあげられたら、もっとすくすくと育ち伸びたであろう人材を山ほど見てきた。
育てるどころか、明らかに時代に取り残されているにもかかわらず、お前にまだ早いとでも言わんばかりに前に出ようとする“先輩”達があまりにも多い。独占欲、支配欲、自己顕示欲、承認欲、そういったものの塊なのだろうと思う。
心が貧しいと、何を得ても満たされない。
「得た」ことにも気付かない。
親の言葉だったり、他人から日々学んでいることだったり。
心の豊かさとは、親から譲り受け育まれるものだと私は思っている。
これだけ多くのことに気付くことができる女史(とその家族)って、純粋にスゴイなぁと思って読ませてもらった。
いや、そんな記事を沢山ご紹介したいという気持ちで、あれこれせっせと読みあさっているのだが、なかなかそんな文章に巡り会わず。私のアンテナが錆びているだけかもしれないので、とりあえずお風呂にでも入って、塩で清めて(笑)、本日のスタートを切りたい次第であります。
関連記事:東大首席の山口真由女史の言う「俯瞰力」とは。
女史には是非ともオックスブリッジアクセントで英語を喋ってもらいたい。
チャーリー
JAPAN MENSA会員
AEAJアロマテラピー検定1級
AEAJ認定アロマテラピーアドバイザー
AEAJ認定環境カオリスタ
AEAJ個人正会員
JAMHAメディカルハーブ検定1級
JAMHA認定メディカルハーブコーディネーター
■チャーリーのタンブラー(毎日更新、日記・ブックマーク的な)