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個人ブログ

最近ニュースを賑わせているタイの代理出産について、会社を営む知人から本当に相続税対策なんだろうかと問いかけられた。
私はそうは思わない(キッパリ)。
本当に相続税の対策のために“事務的”に子供を増やしているのであれば、むしろ養育費コストの方がかさむのではないと思う。

私は税理士ではないので細かい数字はわからないが、大凡下記の計算となった。

平成26年現在で見ると、相続税の基礎除額(定額)は5,000万円。それに加え相続人1人あたりの控除額は1,000万円。
よって(独身だとして)子供が3人いれば、5,000万円+1,000万円×3人=計8,000万円が控除される。
相続資産が1億円の場合、この控除額8,000万円を差し引いた2,000万円が相続税課税対象額となり、3人で割るから1人666万円。1,000万円以下の相続税率は10%なので相続人1人あたり約66万円の相続税を支払うことになる。
※実際に相続するのは1億円÷3人=一人3,333万円。

資産が100億円だとすれば、定額控除5,000万円を差し引き、99億5千万円を皆で分配して最小税率の10%(1人あたりの相続額1,000万円以下)にしようとすれば、相続人数が498人必要。それでも1人あたり約100万円の相続税がかかることになる。

100億円−定額控除5千万円=99億5千万円
99億5千万円−1,000万円×498人(控除)=49億7千万円
49億7千万円÷ 498人=9,979,919円(一人あたりの相続税課税対象額)
※実際に相続するのは20,080,321円。
9,979,919円×相続税10%=997,991円(一人あたりの相続税額)

子供が995人いた場合、人数×1,000万円が控除され、基礎控除5,000万円と合わせると100億円が控除されるので、実質的に相続税無税と考えられる。
この場合の実質の相続額は1人10,050,251円。

今そのために子供を増やしている最中ならば、適用されるのは来年平成27年度の改訂後のものなので、基礎控除額(定額)が3,000万円、1人辺りの控除が600万円に減額され、1,662人の子供で無税となる。実質の相続額は1人6,016,847円。

※報道では都内税理士の試算で1,661人という記事を見かけたが、なぜか1,662人という計算になった。多分どこか少しだけズレているのだろう。ご了承願いたい。

1,662人が1つの大きな家に住むとも考えられず、例えば数人当たりに1部屋用意し、ベビーシッターなりの“担当者”を割り当てるとして、子供一人当たりの養育費が毎月10万円かかれば月1億6千620万円×12ヶ月=年19億9千440万円。
5年ちょっとで元々の相続資産を超えてしまう。養育費半分でも10年。

よって相続税対策で“事務的”に子供を増やしているとは私は考えない。

子供1人に相続して最高税率の50%(来年から55%)を納税すると約50億円は国の元へ行き、見ず知らずの人達の保険・学校・公共施設などに費やされることになるので、税金が使われる対象者を選べず、血のつながった自分の子供にだけこのお金を使いたいという理由ならあり得るかもしれない。

日本のように累進課税制度の場合、所得税は税率10%の人もいれば40%の人もいる。住民税10%を足すとそれぞれ20%と50%。10時間働いた際、国のため地域社会のために20%を捧げる人と50%を捧げる人といることになる。

果たしてこの違いは何だろう。

50%にもなると1年働いて半年間は国に捧げたことになる。しかし教科書無償配布など、本来納税の恩恵(貢献の見返り)が得られるべきはずのところで所得制限があり、高額納税者は「出しっぱなし」となることがほとんどである。
見方を変えると、「誰々ちゃん家のお父さんの納税のおかげでボクの教科書無料なんだ」ということにつながり、本当の「平等」や「自立」とは何かを問われるところでもある。

これがいわゆる「高額納税者が日本から出ていく」という懸念の根本でもあり、決して「税金が高いから」というわけではなく、「税率が異なるから」の方が事実に近い見解かと思われる。
「10時間働いたら皆平等に30%(3時間分)が税金」と決まっている方が不公平は生まれない。
※消費税はその考え方と言える。

「富の再分配」とは、所得的な「強」「弱」を公に認めてしまう制度であるとも言える。

この「ねじれ」を解消しようとしたものが「フラット・タックス」(均等税)であり、1981年、スタンフォード大学から考案された。
2001年以降のロシアを始め欧州で広く採用されている。

タオルを絞れば、元に戻ろうとする「反発」が生じる。
初めから捻れない仕組みを考えなければ、いつまでたってもこうした疑念が生じるのではないかと思う。

話しは戻って「相続税対策」という見方は、何か“黒塗りのベンツ”論(寄稿ブログ)のように思える。
そんなに簡単に節税はできない。
今回の目的を議論するならば、私なら他の可能性を検討する。

※この記事はチャーリー個人ブログであり、ルチアーノショー寄稿ブログではありません。

by charlie-ls | 2014-08-18 12:48 | 個人ブログ | Comments(0)

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by charlie-ls | 2014-08-17 08:58 | 個人ブログ | Comments(0)
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この3週間ほど、ほぼ毎日正午〜13時くらいの時間帯に、東京上空(中央区、千代田区、港区付近)をセスナ機がブンブン飛び回っている。
ずっと気になっていたので、久しぶりに70-200mmのレンズを引っ張り出して撮影してみた。
推定高度700m。
f0337316_13543885.jpg
機体番号「JA4059」をgoogleに入れてみると朝日航空と出た。
ホームページを見る限り、パイロットの養成のようだ。

いつか私も飛んでみたい。
映画【華麗なる賭け】(1968年、米)はスティーブ・マックイーンの小型機操縦とともに始まり、名曲「The Windmills of Your Mind (Theme from "The Thomas Crown Affair")」が流れる。

葉巻とコニャックがほしくなった(笑)。

※この記事はチャーリー個人ブログであり、ルチアーノショー寄稿ブログではありません。

by charlie-ls | 2014-05-14 14:07 | 個人ブログ | Comments(0)
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今年「偽ベートーヴェン」問題が世間を賑わせた。
多くのコミュニティで「裏切られた」という発言をしている人たちがたくさんいた。
尋ねてみたいことがある。

何か彼と契約でもしたんだろうか。

CDを買った。その支出に対し、当初予定していたもの(聴覚障害者)と違っていたことに対する「裏切られた」なのだろうか。

聴覚障害を持つ人が創った曲だからいい曲だと思ったのだろうか。
それとも聴覚障害を持つ人を応援するためにCDを購入するという「支援目的」の支出だったのだろうか(これならわからなくもない)。

ベートーヴェンは耳が聞こえない(ことになっている)から、何百年もの間優れた音楽家として評価されているのだろうか。
ある一説では「聞こえていた」とも言われている。代表作「運命」は、3歳の頃亡くなったおじいちゃんの譜面からパクったものとも言われている。

バレる前に死んで良かったねという話なのだろうか。
バレたら世の中からベートーヴェンの曲は瞬く間に消え去るのだろうか。
作品(音楽)自体は評価対象ではないのだろうか。

そうなると、バレるかバレないかの違いしかないんじゃないか。

私にはわからない。

「信じた自分」はどこに行ったんだろうか。
その曲を「いい曲だ」と感じた自分の感性はどこに行ったのだろうか。

聴覚障害者として不正に金品を受給していた、或いは控除によって納税等を免れていたというのならそれは処罰されるべきだし全て返還すべきだが、これは音楽CDという「作品」の出来映えとは関係ない

映画やドラマなんてほとんどが作り話(フィクション)だし、プロデューサーがいて役者がいる。
その作り話に世界中は興奮し、涙してきた。
まさしくそれがエンターテインメント(娯楽)だ。

新垣氏と佐村河内氏はまさにそんな関係だが、もし耳が聞こえていたことがわかった途端「裏切り」として社会から抹消されるならば、障害者の作品は障害者だから買ってもらえるのであって、「芸術」としての評価ではなく、ただの義援金(支援購入)のようなものになってしまわないか。

となると、障害者がどれだけ才能を振り絞っても、その多くの「評価」と思われたものは、障害者であることが前提でしかなく、正当な芸術としての評価は得られにくい(または得られない)ということになる。下手すればただの「同情」でしかない可能性も秘めている。

もし作品が評価されることが励みになって、障害が治癒した場合、もう売れなくなるのだろうか。
ならばその本人は悟るだろう。

やっぱり障害がないと売れないのか、俺の作品は。

それを逆手にとって、障害者のフリをする者が出てきても当然だ。
はるか太古から人の弱みにつけこむ詐欺師がいなくならないのと同じだ。

でも。
例え何かが“嘘”でも、作品自体が良かったら、作品に対して支払った対価は惜しくないはずじゃないか。
「裏切られた」は何かズレているんじゃないかと感じる。私は。

もちろん契約レコード会社が言うのならわかる。

自分に自信を持てず、何かしらの筋書きを必要とする人が増えた気がする。
 雑誌にいいと書いてあったから買った。
 ●●がいいとすすめたから買った。
 口コミレビューにいいと書いてあったから買った。
参考にしたとしても、最後の判断は自分ではないか。「買わされた」わけじゃないのだし。

何か「スカイマーク社のミニスカート制服に正義はあるか。」と同じ分類の疑問かもしれない。

ニュースになるまで私は存在自体知らなかったが、今日初めてフィギュアスケートで使用された「ヴァイオリンのためのソナチネ」を聴いてみた。
新垣氏本人が言う「現代音楽の勉強をしている者なら誰でもできる」はその通りだと思う。“ちょっとした映画の挿入歌”という印象でしかなかった。
音と音のつながりが“劇的”ではなく、教科書的な旋律に聴こえる。
自身が影響を受けた曲をつなぎ合わせたような、代表的な旋律展開の集合体と感じた。
私だったら聴覚障害のある人が創った曲でもそうでなくてもCDは購入しない。

ニュース記事によると新垣氏本人も当初「売れるわけがない」と思っていたらしい。

いずれにせよ最後は自分の好き・嫌いだと思うのだが、なぜ“裏切られた”と感じるのかが、私にはわからない。

本だってほとんどがゴーストライターによるものなのだし、今更どうしたんだろうと思う騒動だった。

ベートーヴェンの「悲愴」第三楽章から感じる緊迫感とどこかヒステリックな展開は“アーティスティック”だ。
だから作者の耳が聞こえていたとしてもそうでなかったとしても、私はこの曲を聞き続けるしいい録音があれば追加でCDも買う。

※この記事はチャーリー個人ブログであり、ルチアーノショー寄稿ブログではありません。

by charlie-ls | 2014-05-03 22:08 | 個人ブログ | Comments(0)
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マイケル・サンデルの白熱教室風タイトルにしてみた。

スカイマーク社がある路線のキャビンアテンダントの制服をミニスカートにした。
おもしろい発想だと思う。
何がって、今までの日本に一番「なかった」発想だから。
日本にいると、クレジットカードとか大人向けのサービスでも「キティちゃん」とか何でここに描かれてるのっていう絵柄が多い。
「ハローキティ」は世界に誇るキャラクターだし、もはや“産業”だ。偉大だし、個人的にはとても可愛いと思う。が、クレジットカードや銀行通帳などに必要な図柄かというと、そうは思わない。

そして今回。
あるニュース記事の「女性を商品として扱っている」という主張に対し、コメント欄でそれに同調し“(女性が)かわいそうという意見が書き込まれているのを読んだ。

「希望者」に着用させたというこの制服。
それがなぜ“かわいそう”なのか私にはわからない。

ミニスカートじゃない女子高生を探す方が大変だ。
というよりロングスカートの女子高生を見たことがない。
それは放置し、成人した社会人の「選択」はかわいそうで「規制して(守って)あげる」べきなのだろうか。
余計なお世話じゃないか。

ファッショントレンドも同じくだ。もう10年以上、ミニスカートの時代ではないか。
膝丈のスカートを与えられても、ウエスト部で折り曲げて丈調整(ミニスカートに)する女性は多いが、自分で生地を足して長くする女性は今のところ見たことがない。

規制して(守って)あげた方がいいのだろうか。
アラブ諸国のように、女性の服装について法律を作った方がいいのだろうか。

女性に選択権は与えないのだろうか。
自主性、主体性という本人達の希望・選択・決断する権利は与えないのだろうか。

もし喜んで手を挙げたキャビンアテンド達ならば、“かわいそう”ということがかわいそうだ。
何も自分の意思は認められていない、ただの従属業務員としてしか見なされていないのだから。

選挙と一緒で、誰に投票しようと勝手ではないか。
制服もしかりである。

ここで私が感じているのは、ミニスカートがいいか悪いか、このデザインが適切かどうかではなく、希望者(しかも大人)が着用しても「かわいそう」という意見が出る点についての疑問だ。

日本の議論って何かと「かわいそう」という意見が多くないだろうか。
被害者意識が強すぎる気がする。
自分で選んだんだから、決して被害者ではない。

何か健康上のリスクがあるならそれは専門家の判断でアドバイスしてあげるべきだ。
まじめに働いていたら「知らずに寿命を縮めていた」なんて、それは“かわいそう”だ。
が、ミニスカートが女性の身体にいいか悪いかなど、今現在そういった専門的な指摘は見受けられない。

緊急時・脱出時の「安全性」について指摘する点はどうだろうか。
そもそもそんな時にスカートの丈なんか気にするんだろうか(笑)。
飛行機が墜落するかもしれないという恐怖心の真っ只中に、キャビンアテンダントのミニスカートに興奮している“余裕”のある男性はいるのだろうか(笑)。

本当に業務に専念し、使命を全うしている人たちなら、「火事場のくそ力」でミニスカートだろうとなんだろうと、両足を広げてしっかり踏ん張って、荷物を押さえるなり、ドアをこじ開けるなり、男性から見てもおっかないくらいのパワーを発揮するのが女性じゃないか。と私は思う。

ところでちょっとばかりマイケル・サンデル「白熱教室」風に問いかけたい。

美貌やスタイルの良さは特権か。才能か。

足が速い。これは才能として見なされる。
足が長い。これは見た目を評価する人はいても「好み」の領域にとどめ、「優劣をつけるべきではない」と“無視されなければならない”風潮がある。

では「足が遅い」のは“劣っている”のだろうか。
現代社会で足が遅いことが何かの足かせになるだろうか。

ジェームズ・ボンドも未だに全速力で走り回っているが、実際は情報戦であり足の速さを使う時代ではない。

角度を変えてみたい。
足が速い(例えばオリンピック上位)人達は、ついでに足も長くないか。
実質「足が長いから速い」というスポーツ科学論も読んだことがある。

ということは本質的に、「足が長い」ことが必然的に評価の土台になっていないか。
「身体能力」の一部になっていないか。
「恵まれた身体」という表現を聞いたことはないだろうか。「恵まれた」と評価している。
これらはとてつもなく「短足」の人が短距離走で金メダルを取るまで覆されないだろう。

ボクシングでも同じだ。
対戦前、必ず選手説明をする上で「(どちらが)リーチで上回っている」と言う。
要は「腕が長い」ということだ。
「上回っている」とは決して下回っていない。
率直に言えば「腕が長い方がいい!」と断言しているのと同じだ。

腕が長い方が距離を保てるため優位であると考えられている。
ボクシングが上手か下手かではなく、腕の長さも勝敗(すなわち優劣)を予測する上で重要な要素として見なされている。

今回スカイマーク社のミニスカート制服着用が開始された際の報道写真を見て気づいた。
皆、(日本人にしては)足が長い。

足が長い人達が自らのスタイルに自信があり、着用希望と手を挙げたのではないか。そう思った。

足が速いことは自慢できても、足が長いことは隠しておいた方がいいのだろうか。
私には、どちらも生まれながらにして与えられた才能だと感じる。

それを評価する習慣、文化がないだけではないか。

人を見た目で判断するのは良くない。
ちょっと待ってほしい。
足が長いと性格が悪いんだろうか(笑)。
両方良いかもしれないじゃないか。

そもそもこの仕事は足の長さは必要ないから。
と言えば確かにそうだ。
だから希望者を募ったんじゃないか。
絶対に必要なら、否応なしに希望者なんて募りもせず強制的に変更されるだろう。それが会社の制服だ。

最初に戻ると、希望者が着用しても“かわいそう”なのだろうか。

もし「荷物を運ぶ」「緊急時は乗客を守る」という仕事で見るならば、それはある種の肉体労働であり、いっそ軍服のようなものにしたらいいんじゃないか。
ダサイ?
と言うならば、この仕事にデザインは必要なのか。

と、ぐるぐる回ってしまうのである。

そう、業務とは経営的に合理性を求められる。
安定している時間と危機的な時間とではどちらが長く、発生率が高いかという点をふまえ、見ている限り、歴代の制服は安定している時間に重きを置いたデザイン性だ。特殊部隊のような機能性重視の制服をまだ見たことがない。ということは「緊急時」を主としてデザインはされていない。

ならばデザイン性を求めた結果として、別にかまわないんじゃないかと思う。
個人的にはこのスカート丈は十二分に短いと思うし、世の中的に「短すぎる」と言われるのも納得している。
しかし「かわいそう」とは思わない。

むしろ緊急時を意識させる緊迫したデザインの制服を着た飛行機に乗りたいだろうか(笑)。
落ちること前提なんじゃないかと思わないだろうか。
のーてんきな制服だったら「この航空会社は絶対危ない目には遭う予定はないんだろうな」と思うし、そのまま無事故で3年も経てば「評価」に変わるだろう。

「乗客を安心させる」上で、そういった視点もあるんじゃないかと私は思う。

数年前パリのエッフェル塔の下にはライフルを持った軍服の男達が7人ほど見回りしていた。
全然リラックスできなかったし、バッグから物を取り出すだけでも緊張した。
緊急事態が起きたら守ってくれるのだろうけど、世界有数の観光スポット“エッフェル塔”には「ほしくない」絵面だった。
ここは極めて危険ですよ」とアピールしているようなものなのだから。


後書き
ルチアーノショーの女性スタッフにスカイマーク社の制服についてヒアリングしてみたところ、「短すぎる」で一致していた。
「かわいそう」という意見はでなかったので安心した。

※この記事はチャーリー個人ブログであり、ルチアーノショー寄稿ブログではありません。

by charlie-ls | 2014-04-30 10:17 | 個人ブログ | Comments(0)

カメラマン☆チャーリーのブログ


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