公正世界信念と自己奉仕バイアス。チャクラの色も交えながらクリティカルシンキング。
2017年 08月 23日
久しぶりにスピリチュアルネタを書いてみようと思って「時間の概念」について検索していたら、3年前に自分で書いたブログがヒットした(笑)。
『“時”の認識から「思想」(宗教)と「現実」(科学)を照合する。 』
時間とはつなぎ目のない連続的なものなのか、或いは細切れの集合体(パラパラマンガ)で非連続的なのかを考える上で、人の感情・考えが連続的であることから、何かしら時間はつながっているのかもしれないとも言えるし、コンピューターには処理の最小時間がありながら記録は残るので、記録や記憶とはまた別の処理系が“時”を管理しているのかもしれないとも言える。
※時間が非連続的だと考える場合は、プランク時間(時間の最小単位)の存在が関連してくる。「時間」に最小単位があるということは、原子のように個々のバラバラの集合体ということかもしれず、(例えだが)顕微鏡で見れば時間と時間の間がつながっていないことになる(或いは根拠となる「光」ではない未知の基準が見つかるかもしれない)。
心理学に出てくる公正世界信念(公正世界仮説)とは、頑張ったからイイ事が起きた(褒美、報酬)、努力を怠ったから悪い事が起きた(罰、報い)というような認知バイアスであり、いわゆる因果応報的な考え方。「因果応報」が仏教用語であるように、宗教的かつ物事の“前後”をこの上なく重視している。
例えば、
日照りが続いて困り果てた農家が毎日「天」に祈りを捧げていたら7日目にして雨が降った。
私も応援したくなるし、これを仮に「真」だとすると、
学校にも塾にも行かず家庭教師がいるわけでもないのに、なぜかこの問題が解ける。
は「行い」(努力)を伴わないから「偽」となる。なるというよりは、公正世界信念派にとっては「偽」でなければ困る状態に陥る。「祈ったら雨が降った」が“気のせい”に成りかねないし、場合によっては「努力」の価値が崩れかねないから。
努力は成果を生み出すが、精神はどうだろうか。祈るという行為(作業)が成果を生むのか、祈る心(精神)が結果をもたらすのか。
答えは出ないので問いかけることしかできない。
えてして天才の存在は都合が悪く、何としてでも存在をもみ消したくなるのも公正世界信念的だ。立っているだけで、他の女性よりも重い荷物を持ってもらえたりドアを開けてもらえる可能性が極めて高まる(あたかも人生を楽に生きているかのように見える)「美人」もその対象の1つだろう。
この理屈は、生まれながらにして持つ才能や美貌は「努力をしてない」という考えに立脚している。勝手に(笑)。切磋琢磨しないと、神さまが怒って才能や美貌を取り上げるという考え方まである。「“バチ”が当たる」的な。
何かと説明がつかないときに神さまを登場させる傾向がある。人類は。
では才能や美貌を遺伝子に刻んで誕生させた神さまが、そして努力をしない者に怒って才能・美貌を取り上げる力を有する神さまが、なぜ努力をしないだろう者に才能を与えたのか。そこは事前にわからないのか。
ということはあれか。創ってみたが上手く行かなかったからリセットボタン押すゲームかんしゃくちびっ子みたいなノリなのか神さまは。
いや、ユダヤ人的なディスカッションをしたいわけではないし、神さまに難癖付けるためのブログではなくて、「そこで何で神さまを都合よく持ち出すのかね」というヒトに対する問いだ。これは。
そこで公正世界信念の説明で最も登場回数の多い因果応報例で考察してみた。
若い女の子がミニスカートで夜1人で出歩くから男に襲われるのよ。
意外にも同性がこういった考えを持つことも多いようだが、これは何の罪もない人がヒドイ目に遭うとつじつまが合わなくなるからという根拠で「ミニスカートが悪い」らしい。ではこれを仮に「真」だとするならば、若い+ミニスカートは男の理性を狂わせる程の魅力があるという前提に立っている(と考えられる)。仕方ないので、男はミニスカート以下の生き物であることを受け入れたとしても、
若いしミニスカートで毎日夜1人で出歩いているのに男に襲われない女性。
はどうなるのか。男の理性を狂わす程の「若い+ミニスカート」という魅力を相殺するほどヒドいビジュアルだということにならないか。
因果応報論を他人に適用すると結局は自分に戻ってくる場合がある。
「若い」「ミニスカート」「女性」が3つ揃っていながら結果が異なると、統計的仮説検定において恐らくは帰無仮説(「有意差はない」という説)が棄却されず、公正世界信念派には都合が悪くなり、とりあえずは「化粧が濃い」とか「香水を付けてる」とか「ハイヒールだった」とかありったけのそれらしい事実を列挙し、どれも該当しないと次は「日頃の行い」とか深い粗探しが始まる(笑)。実際は「粗」というレベルではなく、かなり細かいネチネチした調査なんだがソレは(笑)。
例えばこれはどうだろう。
ホラネ。いつも人の悪口ばかり言ってるから転んで口を怪我するのよ。
田舎のおばさんの井戸端会議とかに多い主張だが、宗教的思考では宗派を問わず世界共通だ。因果応報の否定派は次のように切り返す。
生まれて間もない赤ん坊が予期せぬ大地震によって引き起こされた津波にのまれて死んでしまった。
それはなぜか。まだ口もきけない赤ん坊が人や水の悪口は言ってないし、ハイハイもできない赤ん坊が人の目をかすめて泥棒していたり水の無駄遣いもしていない。
公正世界信念派にとってはいよいよ都合が悪く、ついには「血筋だ」とか「前世」「怨念」「祟り」の仕業だと言う人もいる。
確かに、罪もない人に苦難が降り注ぐのだとすれば、トンデモナイ悪党に幸福が舞い降りる可能性も出てくるので、何とかして理由付けしたいのだろう。
こうやって現世における公正世界信念では説明のつかないラッキー/アンラッキーを、既にいなくなった先祖や目に見えないバケモン(霊)に丸投げすることで(或いは未来に「出る」と脅す宗教もある)ヒトは精神論を説いてきた。
天国に行くか地獄に行くかも未来に丸投げしている1事例だ。
公正世界信念は歪んだあるいは行きすぎた正義感のようにも思える。
※ちなみに私は因果応報などナイと言う考えではなく、公正世界信念なる認知バイアスとは何なのかについての検証だ。
泥棒ばかりしている人が何やら幸せそうに生活していると腹立たしくなり、「今に見てなさい、地獄に落ちるわよ」的な目でみたくなる気持ちは十二分に理解する。私も実際に見たら気に入らない。
ギャングが大金持ちでは困る。通常。その矛盾に対し、大人は子供達に「何であのオジサン達は悪いことばかりしているのに裕福で幸せそうなの?」と問われたときに示しが付かないから、「世の中お金が全てじゃないのよ」と苦し紛れな返事しかできなくなる。
自分の方がもっと稼いでいれば鼻にもかけないんだろうが、終いには「貧しい=心が綺麗」とさえ主張する人もいる。心が綺麗なら豊かになってもイイんじゃないか。それは「日頃の行い」に含まれないのか。
そして愚かにもお金持ちや成功者に対して「表からは見えていないところで何か不幸が起きていて欲しい」という願望さえ生まれる。例えば「実は病気で苦しんでいる」とか。「他人の不幸は蜜の味」の起源だろう。不公平っぽさを何とか平均化したいのだと思われる。しかしギャングがどんな悪さをしたのか解らないが、他人の病気を望んでいるその心も十分に罪だ。
ソレを神さまは許すのか。ソレは「日頃の行い」に勘定されないのか。
ましてやそのギャング家の子供(「ギャングちゃん」とする)と同級生の我が子が「今度ギャングちゃんのお父さんが博物館と科学未来館に連れてってくれるんだ」と喜んでいると、何やらキタナイお金に買収(支配)された気分になるから、「汚れ」(ヨゴレじゃなくてケガレ)の概念が発達する。
「汚れ」は日本文化にとどまらず、欧米でも「そんなお金は受け取れません」とお金の出所の怪しい寄付を断るケースも多々ある。そりゃそうだ。現金輸送車を襲撃してその足で寄付金を持って来られても良心がとがめる(笑)。いわゆる「倫理観」「道徳観」というものであり、世界共通に存在する。
が、実際には洗浄された「元汚れた」お金達も山ほど流通していて、大半の人はそのお金の上に生活基盤を築いている。そもそも人口の半数以上は納税額で自分達家族の社会インフラコストさえまかなえていない。学校や病院、警察署、道路を建てるお金に1円も出していないと言っていいほど納税額が足りていない。
※日本の国民1人当たりの借金は830万円であり、平均の何百倍、何千倍も納税している人・会社があってもコレなので、ほとんどの人が一生誰かのお金のお世話になっている。
愛人はスポンサーに感謝するが、一般大衆はスポンサーらしき高額納税者に感謝しない。だとすれば公正世界信念的に言えば、愛人には幸せが訪れるということだ(笑)。祈る代わりに感謝しているから。
こうして現実を見てみると、「清濁併せ呑む」かは置いといても、自分の目の届かない、管理下にない大きな社会の中に生かされていることに気付かざるをえない。
そんなことは中学校の社会くらいの知識があれば解るだろうという話しだが、それでも公正世界信念的な思想が根強いのは、やはりヒトは自分こそが「真」であり、他を「偽」としたい自己奉仕バイアスが強い生き物だということが言える。
※参考資料:あなた、そんなに凄いの? -自己奉仕バイアス | GLOBIS 知見録 - 読む
「頑張ってる方が豊かになる(恵まれる)べき」という気持ちは感情論として当然に成り立つと私も思うが、なぜ自分の方が頑張ってると思うのか、その根拠を知りたい。
そこで宗教論では「頑張る」と「祈る(願う)」が同じくらいの位置づけであることが多く、祈る系・願う系と言えばこの人、私の知人で東欧出身のカトリック教徒女性をサンプルとして登場してもらう(笑)。
「嗚呼、神さま」
1時間一緒にいると、3回は必ず聞く(笑)。しかも割とどうでもイイお願い事で神さまを呼びだそうとする(笑)。空に向かって。神さまは空にいるのか。
では世界中にキリスト教徒は16億人いるとされているが、16億人が皆(多分)祈っている中、なぜ神さまはアナタの願いを聞いてくれるのか。その選定基準を知りたい。
1/16億。
ちなみにBIG 1等 6億円は、1/480万くらいの確率。ちゃんと並べてみると、
1 / 1600000000
1 / 4800000
6億円を当てるのに16億分の1の神さま登場率にすがったりしてませんか。
ま、多くの人は6億円当たったら神さまを呼び出さなくなるだろう(笑)。なぜなら自分で解決できることの方が増えるからだ(笑)。
実際に見聞きしたこともあるし、海外ドラマで度々見かけるシーンで、「あんなに私が苦しんでた時に、神さま、あなたはどこで何をしていたのか」と怒り出す人がいる。
ちょっと待ってくれ。「いついつ何時に大変になるから予定を空けといてね」と事前に予約を入れておいたのだろうか。
どこかの会社の社長を訪ねていって、アポイントなしで会えるだろうか。なぜ神さまなら会えると思うのか。
どこの企業もコールセンターですらつながらないというのに。
そのうち「404 神さま Not Found」とか出るんじゃないか。
神さま読み出しルーチンのオーバーヘッドは一体どのくらいなのか。神さま呼び出しコストは恐らく極めて高い。私の推定では女性がセルフィー写真撮りたいからっていちいちジョージ・クルーニーを呼び出すより高い。
結論としては、私がスピリチュアルに手を付けると毎回こんな展開になりますよ的な自己開示の1つとしてこの投稿をアップしてみた(笑)。
テーマである公正世界信念について言えるのは、自己都合で振りかざしてはいけないということ。因果応報があるとかないとかは置いといて。
散々書いておいてアレだが、私は「念」とか「集合意識」「テレパシー」「生まれ変わり」といったものをそれなりに信じているので、決してこれらの精神世界を否定しているわけではない。
が、「神さま」とか「宇宙」とか、そういった壮大な何かと対峙する上で、さすがに自己都合レベルの屁理屈は排除しておかないと、通常お呼びでない崇高な世界に足を踏み入れるには、何か汚れ(ヨゴレじゃなくて)のようなものを感じてしまい、いわゆる「お清め」から始めようというのがいつもの私の思考パターン。
脳も邪念があっては上手く機能してくれない。
ヨガで言うグラウンディング、すなわち第一チャクラ(赤)から始めるのは、まず「地に足を付ける」ことという意味がある。一言で「瞑想」と言っても、タダ居眠りぶっこいてるだけじゃなくて(笑)、大地のエネルギーを感じ、地球という星に生きる自分を認識(自分を認めること)がスタートだ。「自分を認める」のは実は最初の難関であり、自己都合の屁理屈をたれている間は、自分でうすうす自分で自分を言いくるめている(自分自身を騙してる)ことに気付いているため、潜在意識としては自分を認めていない。その状態で第6チャクラ(藍色)、第7チャクラ(紫)が開くかというと私は違うと思う。
心理学と照らし合わせるならば、マズローの欲求段階説(自己実現理論)は、生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認の欲求、自己実現の欲求という具合に、大凡第一チャクラに始まって第7チャクラに抜けるよう構成されている。見方を変えると、高次欲求とは下位層が満たされこそその“受け皿”ができあがると考えられる。
そして何気にこのピラミッド型の図もチャクラと同じ色分けがなされている。
この色のステップは決してテキトーではなく色(光)の科学に基づいている。下から波長が長くエネルギーは弱く赤(赤外線)の波長620〜750nmから橙、黄、緑、青、紫(380-450nm)という具合に波長が短くエネルギーが強くなっていく。理科やハイテクに明るい人ならリモコンの赤外線やCDの赤色レーザーに始まり、紫外線やBlu-Rayの青紫レーザーが最終段階であることを想起するかもしれない。
参考資料:ブルーレイディスクのしくみ | ソニー
ちなみにスピリチュアル系アロマテラピーの世界では、チャクラに対応する色に加え、周波数(すなわち「音」)、同じ色と波動の石(パワーストーン)などを併せて用いるスタイルもある。エッセンシャルオイルも、植物における末梢である葉っぱから採れるものは手足や毛細血管に、茎や木(幹)から採取するものはリンパ管や血流に効き、果実から採れるものは安定や幸福感(すなわち副交感神経優位)を与えると考えられている。
世間では科学とスピリチュアルは相反するもののようにとらえられているが、実は屁理屈系スピリチュアル(笑)よりも、よっぽど科学者の方が大自然の摂理に沿った思考をしていることが多く、なぜなら進化すればするほど人間の摂理とか、宇宙の法則とかそういった事を意識せざるを得なくなるから。
「先進的」であるためには、教科書に載っているような既知の学問では事足りないし、思いつきやただの山勘では技術を裏付けることができず再現性が保てない(=気のせいかもしれない)ので、最も偉大で確実に成立している高次レベルの作品は何かと考えると、それは人体だったり宇宙だったり或いは光だったりというところに帰結する。
よってちょっとしたクリティカルシンキング(critical thinking)で答えに詰まるような精神性とは何ら崇高な領域にあるとは言えず、大方自己都合・自己満足、自己奉仕バイアスの結晶であり(これらは外界に対する“バリアー”でもある)、既に多くの人によって揉まれ尽くしている“通過点”の1つに過ぎない。恐らくはソコを否定されかねないため、スピリチュアル系は科学と距離を置き、時として科学やテクノロジーを批判してみたくもなるのかもしれないが、これもまた自己都合だ。
「自己暗示」も大切だが、信じる対象に揺るぎない信念を持つことと、自分を騙し欺くこととは違う。
屁理屈を基礎としたスピリチュアルに生きていくことは合理的でないし、概念として破綻してしまうから、現実を大前提とした上で精神世界を築くように心がけている。私は。
と自問自答を繰り返しているうちにふと我に返り、「明日も頑張ろう」と学び続ける意欲と原動力となりつつ、瞑想にふける前に目が覚めてしまう私であるという記録としてココに記しておきたい(笑)。
チャーリー(@)
JAPAN MENSA会員
AEAJアロマテラピー検定1級
AEAJ認定アロマテラピーアドバイザー
AEAJ認定環境カオリスタ
AEAJ認定アロマテラピーインストラクター
AEAJ認定アロマブレンドデザイナー
AEAJ個人正会員
JAMHAメディカルハーブ検定1級
JAMHA認定メディカルハーブコーディネーター
JAMHA認定ハーバルセラピスト
【国】ITパスポート試験合格(笑)。
【国】情報セキュリティマネジメント試験合格
【国】臭気判定士
薬学検定1級試験合格
HTML5プロフェッショナル認定資格 レベル1試験に合格。
個人情報保護士認定試験に合格。
情報セキュリティ管理士認定試験に合格。
【公】メンタルヘルス・マネジメント検定II種(ラインケアコース)試験に合格。
Comptia Security+試験合格。
SEA/J情報セキュリティ技術認定CSPM of Technical試験合格。
【国】危険物取扱者 乙種 第4類試験合格。
【国】情報処理安全確保支援士(旧情報セキュリティスペシャリスト)試験合格。
【国】ファイナンシャル・プランニング技能検定2級試験に合格。
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