ザ・サイコパス。最後通牒ゲーム(ゲーム理論)から利己的、利他的、功利主義とは。場の支配の考察。

年末袋閉じ(てない)ジャンボブログ。その名もザ・サイコパス(笑)。

早速いってみよう。

ログのコメントで「最後通牒ゲーム」(ゲーム理論)について投げてもらい、早速(3週間経ったが(笑))考察してみた。

ゲームの概要。

「報酬」を2人でどのように分配するかというゲームで、心理実験として用いられる。

ある1人(仮にAさん)には報酬配分の提案権を、もう1人(仮にBさん)には提案された報酬配分への拒否権を与えるという2人2段階ゲーム。Aさんが報酬配分を決定できるが、Bさんが拒否したら2人とも報酬を失ってしまう。提案者のAさんは自分の取り分を多くしたいが、Bさんが不公平な分け方を拒否する可能性があり、安易な解決を目指せば公平な報酬配分を選択する。

こちらより。

というわけで、ココに100万円がある。

Aさんが「50万円づつ分けないか?」と提案し、Bさんが了承すれば50万円づつ分配して終了。

Aさんが「私が80万円で、あなたは20万円でどうだ?」と提案し、Bさんが拒否すれば2人とも取り分ゼロとなる。

Bさんに「拒否権が与えられている」ということには、「お金の分配」という点で合理的な価値を持たない。なぜなら「99:1」という不公平感の漂う提案を拒否してみたところで取り分はゼロであり、「1万円でも受け取った方がマシじゃないか」ということになるから。

すなわち、拒否権は名ばかりで、拒否しないことが合理的選択だということになる。

知能指数とはまた異なり、脳科学や心理学の世界では社会通念上の「合理的判断」ができるか否かも思考能力の機能性・健全性の評価項目となっている。

確率思考のセンスが問われる「ギャンブラーIQテスト」は、いかに日常的に損する選択をしているかが計測でき、多くの場合直感よりもちゃんと勉強した方がイイという結果が出る。

賢くない人と交渉する際、あたかも公正な取引であるかのように見せるため、「拒否権を与える」と契約書にサインしてみせることで満足させるといったペテン営業的な使い道はあるかもしれない。

金銭的分配のみについて検討するならば。

精神論的勝利はいくらでも考えられる。世の中の大半の「勝敗」はこっち。相場と同じく金銭的に勝てる人は僅かだから、「心のマウンティング」で主観的に勝利したつもりになる(しかない)人が多い。

まず、不公平な分配提案に対し、Bさんが「断固拒否した」という“プライド”を自他に示すことを持って勝利だと思い込める精神性を持ち合わせている場合。

関係が終わりそうなカップルの片割れが先手必勝で別れを告げ「自分が振った」ことでドラマを終わらせたいソレのような精神論的勝利。大方「体裁」と言える。

昔の学生運動のように「体制にモノを申した」ことで自己満足するケースもある。しかし実際に何が得られたかというと思い出の1つくらい(それも積極的には語られない)にしかならないことも多々ある。

いわゆる精神論的勝利は、価値(甲斐)の後付けによるところが大きい。「あの時のあれにはこんな意味があった」的な。大方宗教のようなもの。またはその起源。

「損して得取れ」という考え方もある。(私は好きな考えだが)得を取れたことを確認できない(すなわち全部を失ったかもしれない)ことが悩ましい。

ポジティブ思考はただの自己催眠(下手すると負け惜しみ)と紙一重だ。

その他「道連れ」もある。Bさんによる「私が拒否することで、Aさんの取り分をゼロにしてやる」という捨て身の作戦。見方によっては「Aさんを勝利させない」精神的支配権がある。後述するが、自分は決して勝たないので、厳密には支配というより道連れ。

自暴自棄になっていて、いっそ奪えるものは全て奪ってやろうと精神の破綻を来していれば、自爆テロ同様の手段として使える。要は自分がどうなろうと、相手にダメージを与えさえすれば良い場合。

※美人じゃないから美人コンテストの廃止を訴えるという心理もコレに似ている。「評価」「採点」という公の制度がなることで「美人をコンテストで勝たせない」ことはできるかもしれないが、美人が美人じゃなくなったわけではないから、コンテストを邪魔することに終始する。

メントによれば、「自分の手取りが30%未満になった時に『不公平感』から、提案を拒否する方が多くなった」とある。

※だとすれば、電通や博報堂のような大手広告代理店が「手数料率20%」という不公平感を飲み込んだ(クライアントに服従した)かのような絶妙な手数料率を設定したことが、日本において長らく続いた代理店ビジネス(中間マージンの発生源でもある)の成功の源だったのかもしれない(笑)。相手を立てつつしっかり取る的な。近年、物販やIT広告の世界ではメーカー(サイト)直販が当たり前になりつつあるが。

「(精神的)支配権」にはこんなのもある。例えば、Aさん10万円、Bさん90万円という極めて自分に有利な提案さえも拒否してみせることで、「Aさんの考えに従わない」という“生理的に受け付けない”系の意思表示ができる。

例えば「どんな良い条件を与えられてもアンタに雇われるのはご免よ」的な。が、伏せているだけ(高潔に見せたい願望)で、実際には他からもっと良い条件を与えられているだけの場合もあり、表から見える情報だけで真理は判定できない。

多くの悩み相談を聞いている限り、次のお相手が既に決まっているカップルの片割れにその傾向が度々見られる(笑)。もはやそのテーマに興味がなく早く終わらせたいという片割れに対し、相手はまだ当事者だからアノ手この手で妥協案や条件を提示し固執する。その結果すがっているような=女々しく見え、ただのフライングでしかなくとも既に前を向いている片割れ側が勝ち組のように見えたりする。

「忠誠」という名の勝利もある。捕虜軍人が敵国から「解放する代わりにスパイとして働け」と言われてソレを拒否するなど。忠誠心と意志の強さに敵の司令官は恐れおののき、軍事上の戦術としては非常に効果がある。しかし拒否することで命を落とすかも知れない。「勝利」と呼ぶかは遺族次第だろう。他人が決められる問題ではない。

といったことを踏まえ、お金をもらうかどうかという「点」で見れば、「30%を切ったら不公平な気がして拒否をする」とは普通に考えたら愚かだ。29%でもOKした方がゼロになるよりはいいだろう。29万円もらえるのだから。

ゃぁBさんはただ「Yes」と言うだけのゲームじゃないかと言うとそうではない。腹いせの道連れ戦略に出るかもしれないリスクは常にあり、Aさんから見れば共倒れはご免だ。

よってBさんが拒否しないだろう額を提案する必要がある。

先の広告代理店の商習慣のように、拒否させず(相手を立てつつ)最大利益を得る落としどころとして、この条件下におけるゲーム理論としては30万円(30%)付近がボーダーラインと考えられているということだ。一般的に。見方を変えると、自分側が30万円(30%)を切った提案をすれば、相手には献上(服従)的な見せ方ができるということでもある。

日本人の「つまらない物ですが」というプレゼント作戦も謙った交渉術だ。ただし外国人に「つまらない物」を献上すると、「私はつまらない物で十分だと思われてる」と怒らせかねないので、国内かつ同一民族に留める必要がある。

戦術にもTPOがある。

先ほど私は「腹いせの道連れ戦略」と表現したが、心理学的な受け止め方としては、「道連れ」と言うより公正世界信念的な「制裁」として語られることが多い。「こんな不公平なことがあってはならない」という信念から、ゲームを無効化(勝者なし)することで、正義が勝った気がする満足感を得る。というもの。

※ゲームでは不公平な気がしても、現実では提案権(Aさん側)を獲得するために、遙か以前からの努力が実った結果であるため、決して不公平ではない。でなければ頑張って出世しても決定権は皆同じという事態になる。

文系的に言えば「一石を投じた」的な意義。投じても届くかは別なんだが。

と言うのも、下手すると世の中に平均的に存在する「正義」とは「何ももらえない(儲からない=割に合わない)」ことを知らしめ、正義の価値を下げかねない。「正直者がバカを見る」という言葉があるように。

また「清貧」という言葉もあれば「貧乏暇なし」という言葉もある。人の心は揺れている

正義の価値が下がると正義を全うする人が減るから世の中は悪くなる。よって「正義の社会」を築き上げるための「正の循環」としては、「正義=豊か」なものである必要がある(理想とされる)。と考えると、揉まれていない幼稚な正義、自己満足正義、精神論的正義というのは、中長期的に見ると正義社会に不利益をもたらしかねない。いつも貧乏くじだと正義が流行らないから。

要は自分が正義だと思い込んでいるだけで、いわゆるナルシシズムの一部分。

ドナルド・トランプ大統領の選挙手法はソコを巧く利用した感がある。流行らない正義に飽きた大衆に対し、汚れた正義もありなんじゃないか的な問いかけ(大衆迎合的な対話)を多用した。一瞬熱狂するが冷めると支持者は自己嫌悪に陥る。「また変なものに手を出してしまった」的な。

いわゆる中毒症状と同じ循環であり、女性が何度もダメ男に惹かれるのもそうだし、アルコール、ドラッグ、ギャンブル、買い物や甘い物が止まらないなどの依存症も同じだ。
※精神依存にはストックホルム症候群代理ミュンヒハウゼン症候群などもある。

ザ・サイコパス。最後通牒ゲーム(ゲーム理論)から利己的、利他的、功利主義とは。場の支配の考察。_f0337316_19314203.jpg
2013年05月の写真。長らくチェスをしてない。

ころで、私が金額を100万円に設定したのは、100円だと80円:20円の分配を拒否することは現代の日本において簡単(失うものが小さい)だから。

80万円:20万円の提案を拒否する人は極端に減る(はず)。

では8億円:2億円の提案はどうだろう。もちろん拒否すればゼロ。

80億円:20億円を拒否して20億円を棒に振る人は多分いない。

賢いマフィア(?)なら、一旦合意し、帰り道に襲撃するかもしれないが(笑)。

よってゲーム理論はフォーマット通りにいかず、相手の精神分析はもちろん、所得や生活・知的水準などを考慮して戦略化する必要がある。そのための情報収集(いわゆる諜報活動)が重要であることがわかる。ストラテジーとインテリジェンスの関係。

相手(Bさん)が大富豪なら20億円でも蹴るかもしれない。その場合、通常はBさん(大富豪)が勝利だ。なぜなら、Aさんに1銭も与えず、なおかつ自らは大富豪であり続けるから。前述の美人と同じで、勝利した状態でゲームが始まっている

この場合はプライドとか見栄とかの精神論的勝利ではなく、そこにある事実による勝利だから性質が全く異なる。

※「IQが高けりゃイイってもんじゃない」のように、「美人だから何?」「大富豪だから何?」とそもそもの人々の認識・認知や定義を覆して(ケチつけて)みる心理も精神論的勝利と結びつきが深い。

メントに戻り、30%未満で拒否する確率が高まるのは「腹内則前頭前皮質に損傷を負った人は」という前提がある。

心理学検定をはじめとする心理学全般に必ずと言っていいほど出てくるフィネアス・ゲージの事例が代表的だ。作業中に鉄パイプが脳を貫通し、前頭葉を損傷し、その後生活はできたが性格が変わった(ナイスガイから凶暴になった)という事例。

前頭前皮質の損傷によって道徳的判断の功利主義的な傾向が増す | Nature | Nature Research

という文献がある。

功利主義について考えてみたいので、狙い撃ちでこの記事を取り上げてみた。

ここから先は「腹内則前頭前皮質に損傷を負った」+「功利主義傾向が強まった」BさんをB#さんと呼ぶ。

2つの情報を組み合わせると、損傷によって功利主義的な傾向が増した結果、自分の手取りが30%未満を切ると拒否する確率が高まるのだとすれば、「最大多数の最大幸福」を基本原理とする功利主義に合致するだろうか。

しない。

最後通牒ゲームは1対1だから「最大多数の最大幸福」は基本的に50:50の分配を指すが、少なくとも2人とも不幸な結果=取り分ゼロとならないことを望むはずだと考えたら、B#さんはどんな提案も受け入れる必要がある。だから拒否する確率が高まると功利主義に反する。

※このゲームの前提として、会社への出資比率のように当たり前に優劣・上下が決まっている場合を除く。

功利主義とはマイケル・サンデルの白熱教室でも有名なトロッコの話(彼は路面電車としている)が代表的で、5人を殺さずに済むならば1人の死(犠牲)を選ぶというもの。

功利主義は利己主義と同列に扱われることが多いようだが全く別モノ。功利主義は「最大多数の最大幸福」、利己主義は自分の利益が最優先(他人のことは知らない)。

コで少しB#さんに刺激を与え環境要因も加えて分析してみたい。

例えば、AさんとB#さんの2人で分配するが、Aさんは交渉が成立したら自らの取り分を他の4人に均等分配すると宣言する(交渉相手及び周囲に精神的に「イイ人が勝利すべき」効果を与える)。

そこでAさんは5:1の分配案をB#さんに提示した。

Aさんの公約が果たされたら1/6づつ全ての人に行き渡り、特に他の条件がなければ公平であり功利主義に合致するし、大衆社会では称賛を浴びやすい。

問題は、B#さんが功利主義に則ってこの5:1分配案を飲むだろうか。

前述の文献では功利主義傾向が高まるとあるが、コメントでは「自分の手取りが30%未満になった時に『不公平感』から、提案を拒否する方が多くなった」とある。私もB#さんは拒否するだろう気がする。

そこで(笑)登場した「サイコパス」は、<前頭前皮質>腹側システムの機能に乏しいとあり、文献のような「功利主義」傾向が強まるよりも、より利己的になるだろうと予想される。

相手(Aさん)の取り分が「5」である由来は、「他の4人にも分配するため」であるが、ゲームの本質は1対1なのだから、B#さんにとっては、「他の4人」が邪魔に見えてくる。「例外」(エラー)だから。サイコパスなら名簿から“削除”するが第一選択肢だろう(笑)。自分の利益を減らす要因だから。

ここでB#さんが真っ当に勝利するための交渉戦術はこうだ。

「あなたは他の4人にも均等分配したいといい人ぶっているが、自分の取り分もきっちり確保している。懐も痛めず名声も得ようとしている。強欲極まりない。ここは50:50で分配し、自分の取り分から他の4人に分け与えるべきだ。そうしないのなら私は拒否し、全員ゼロだ」

とする。

Aさんは「他の4人に分配したい」なんて格好付けなきゃ良かったということ(笑)。言ってしまったばかりにソコに引っかかる人がいて追求される。口は災いの元とはこのことだ。

当初は1/6(16.66%)の分配となる算段だったものが、AさんB#さんは50:50で分け、Aさんの50%を5人で分けるから各自10%になり、B#さんの取り分は50%となる。

B#さんが機嫌を損ねると全員ゼロとなる。

これはAさんが「イイ人だ」雰囲気に包まれつつあったものを破壊し、Aさんは「実は利己的だ」という新事実で塗り替えるというどんでん返し。

周囲はふと我に返り、一見イイ人に見えたAさんがずる賢い者だと感じ、反動で「騙された」と必要以上に責任を追及するのが世の基本(笑)。判断を誤った(見る目がなかった)自分の責任を分散するため。これもまた身勝手極まりない(笑)。

Aさんは飲むしかない。「言い出しっぺ」の後始末だ。これを拒絶するとただの利己的な打算による提案だったことが周囲に知られてしまうから、50%を受け取りそこから分配するのが妥当という判断が合理的。

もそも利己的・利他的とは何かを考えてみる。

このゲームにおいて、80:20の取引をのむことは利己的なのか。それとも利他的なのか。

解りやすい利他的からいこう。まず、8割を相手にくれてやること。或いは拒否したら2人ともゼロになるから「拒否すると相手に悪い」(だからのむ)という考え方。綺麗に言えば「自己犠牲」的。契約・交渉に弱い日本人に多い。

※ただし、「相手に悪い」の続きが「それで嫌われたくない」ということならばそれは保身であり自己都合だから利己的に転じる。先の「他からもっと良い条件を与えられているだけ」の人と同じように本当の理由を隠しているだけ。

次に利己的。80:20に対し不公平だと感じても、拒否してゼロになるくらいなら20もらおうという考え方を合理的と呼ぶのか利己的と呼ぶのか。

「もらえるモンは全部もらっとこう」と受け止めると欲深く利己的に見える。

或いは、この条件では不公平だから拒否する。これも「自分の取り分が少ない」という不服(もっと欲しいという)をもとに拒否しているから利己的だ。世間では「わがまま」と呼ぶ人もいるかもしれない。拒否した結果、相手の利益も消滅するから。他人の不利益を顧みないのが利己的。

プライドや信念を誇示するのも、承認欲求だったり自己顕示欲だったり「欲」でしかないことが多い。むしろお金(という世間のイメージがない分)に対する欲求よりも強欲さがストレートに出やすい。

更には、「そんな不公平(利己的)な案を提示してくるようなヤツは1円たりとも受け取れなくしてやる」という考えで拒否した場合も、自ら「裁き」を下したいという欲求(公正世界信念)に駆られているため(そしてそれを実行しているから)利己的だ。

見せ方が「正義」なだけで、ヒーロー願望が行きすぎると、自分で放火して最初にかけつけ消火活動を行う消防士のようになる。人を苦しめ感謝されるという極度の矛盾。これはサイコパス的だ。

う。この「見せ方」こそがミステリーだ。見せ方とは方法論の一部であり「実体」ではない。前述の、自分の取り分も確保しつつ「イイ人」の名声も得ようとしている強欲極まりないAさんも、表向きは「均等」をうたっているから、賢くない集団においては称賛されやすい

度々「富の再分配」で支持を得ようとする政治家はソレを理解・活用している。他人のお金を分配して自分が支持を得る上に、分配する側でない圧倒的大多数を動かす手法だ。

こうした心理操縦に長けた人達は、サイコパスでなくともソシオパスの可能性がある。

その集団において、ソシオパスだと悟られない・気付かれないだけで。必然的に自分よりも賢くない層を相手にする必要がある。

※あまり違いはないようだが、サイコパスは精神病質者、ソシオパスは社会病質者と言われる。また先天的、後天的という分け方もある。

なぜそれを「カリスマ」と呼ばずにソシオパスと考えるのか。

俗に言うカリスマは、生まれてもって他人が持っていないもの(なおかつ他人が欲しがるもの=才能とか)を持っている。よって目先の取り分は重要ではない。「持っている」という事実が揺らがないから。スティーブ・ジョブズの「年俸1ドル」のような行動もその典型だし、前述のゲーム前から勝利している美人や大富豪も同じだ。持っているもの(他人が欲しがるもの)を提供し対価を得たら良い。正当だ。

一方、ソシオパス(サイコパスも)は他人を支配し制御することで欲しいものを手に入れる。自分が何かを与えた対価ではなく。根っから利己的。

先ほどのAさんにおいては、「自分の取り分をゲームに参加していない他の4人にも分配する」というゲーム外の行為を持ち出すことで、多くの賢くない人がソレを称賛・支持するだろうことを計算に入れ行動する。相手が断りづらい環境を作る=場を支配する

※本当に善意なら、ゲームに影響を及ぼす領域で発言せず、取り分を受け取った後に分配すれば良い。B#さんはそこを突けば良い。

庶民の味方のフリをして当選するだけして平気で公約を破る政治家も似た系統だが、日本には「嘘も方便」という言葉もある。

よってこの最後通牒ゲームは、AさんBさん(またはB#さん)を隔離し、第三者の居ない個室でマイク・スピーカー等を使って交渉させる必要があると考える人もいる。

周囲の目や空気感が影響を及ぼす場合、「他の4人にも分配する」などといった、ゲームとは無関係な駆け引きに周囲の人達を巻き込もうと試みる者が出てくるから。

ヒーローになるはずだったAさんがソシオパスに見えてくる。

は多い。それも知能があまり高くない人に多い。いわゆる“オツボネ”(笑)の場の支配とか。噂好きな人は基本的に知能は高くない。

ドラマや映画に出てくる天才達が他人の噂話が好きというキャラで描かれていることがあるだろうか。

ナイ。

噂話というのは、広まらなければ意味をなさないという「数による支配」が根底にある。数集めるには圧倒的大多数である凡人層(厳密には平均以下層*)が対象となるため、能力優位ではないから必然的に群れる必要が出てくる。

SNSで毎日全員分チェックしないと不安でたまらない人(干されることを恐れている人)や、相手にとっては全くメリットのないサラリーマンの栄光浴名刺交換とか。場を離れると、忘れられてしまう可能性の高い存在であることを自分自身が潜在的または顕在意識下で認識している(すなわち他人から見た“私と付き合うメリット”が少ないと認識している)から「つながり」願望が強く生じる。

*平均以下層:噂の真偽を検証する能力がない方が伝染しやすいから。間に1人でも賢い人がいると「いいや、ソレは違う」と止まってしまう。これを「組織統制」に置き換えると、採用試験である一定以上のスコアを出した者を採用しない規定のある企業も存在する。

これといった「切り札」がない状態で優位に立とうと考えると、数で支配しようとする。そこでデマや噂を利用する。

最近になってサイコパスは実は知能が低いが出てきた。私も同意する。

圧倒的な優位性がないために、賢くない者や噂・陰謀論・精神論の深みにはまりやすい人を操ることで場を支配する。

一方、ノーベル賞受賞者がいかに自分が頭がイイかを語る必要もなければ、オスカー俳優が自分がどれだけ演技が巧いかをSNSで広める必要もないし、オリンピック金メダリストが第三者になりすまして自分の能力を褒め称える必要もない。

事実とは強い。

知能レベルが高い人ほど人を信じやすく、低い人はあまり人を信じない? 』と重複するが、例えばスーツを着てネクタイをして身だしなみを整え、ハキハキと自発的に挨拶をする人が「ちゃんとした人」だと感じる人が多ければ、ペテン師はその格好・振る舞いを完コピする。「ちゃんとした人」だと思わせた方が騙しやすいから。

よって「ちゃんとした人」に見えるかどうかは何ら本質的な判断材料にならない。それどころかステルスかもしれないし、ショーケースのマネキンを指さして「あれ全部ちょうだい」的な自分の色を持たない人かもしれない。

他人ウケするものを選ぶんだからイイことにも感じるが、行きすぎると他人からよく思われるためなら何でもする人とも言える。

例えば地毛が茶色の人が、黒い髪の毛が信用されるなら黒い髪の毛にすることもある。どこかの学校の規則のように。

私なら、黙って黒く染める人よりも「地毛が茶色なんです」とうったえる人を信じる。

しかし世の中は前者を信じる傾向が強い。だからペテンに引っかかりやすいのだろうと思う。形式だけを重視し真実を見ようとしていないから。

ころでサイコパスとは具体的にどういう人を指すのか。犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは以下のように定義している。

 良心が異常に欠如している
 他者に冷淡で共感しない
 慢性的に平然と嘘をつく
 行動に対する責任が全く取れない
 罪悪感が皆無
 自尊心が過大で自己中心的***
 口が達者で表面は魅力的

3番目と最後の項目が見た目による判定を危うくする要因だ。場合によっては、最も信頼していた人や、毎日挨拶を交わしていた人など、「まさかあの人が」という人である可能性が高い。

***は、取り分が30%を下回ると拒否する確率が高まりそうな要因。

というより凶悪事件が起きると決まって近所の人達は「まさかあの人が」「いつも朝向こうからおはようございますって」「信じられない」と語る。

昔から「ツッパリ」(古)ほどピュアだと言われる由縁でもあるだろう。

目立つことをすれば周囲の目が厳しくなり監視が強まるから、本当に悪い事をしようと考えている者はごく平凡な一般人に成り済ます。

スパイ(諜報員)もオーラがあってはいけないと言う。すぐに覚えられてしまうから。

し角度を変えて、最近見たドラマ『シャーロック』では、シャーロック本人がソシオパスを名乗っている。実際には「社会不適合者」という意味で使われているようなのでそこは放っておこう。

彼はワトソンに「君のような凡人の意見が聞きたい」とストレートに言い、社会性のないコミュニケーション障害として周囲に見なされるが、実際には凡人の意見を本気で聞きたがっているし、実際に参考にすることから、その(凡人の)存在価値に敬意を払っている。すなわち多様性の理解。

ドラマ『スコーピオン』におけるペイジの役割も同様だ。「彼女がいなければ、外との接触が持てない(仕事ができない)」と天才集団が彼女に頼る。

以前足が長い少年について書いた。非常にしばしば題材にしているが、賢さとは素直さでもある。日本人が好む謙虚さとは多少方向性が異なろうとも。実体(足が長いという事実)を伴うからこそ事実と主観・客観の違いを素直に認識できる(と考えている)。その結果前述のシャーロックのように多様性の本質を理解する。私はそう推察する。実体が伴わない場合において、何かしら優位性を保つために話しをでっち上げたり他人を下げようと策略してみたりする。と考えられる。

社会性やコミュニケーション能力を身につけたフリをして、社交辞令やお世辞でうまくその場をしのぎつつ、自分の思った通りにしか行動しない人は、全くもって相手に敬意を払っていないとも言える。他人に敬意を払えないから、他人が持って生まれたものや築き上げたものを平気でこきおろし(噂やデマを流すなど)誘導・操縦することに罪悪感がない。

よってサイコパス(ソシオパス)は、すぐ近くにいるかもしれない。

的な。

ごく普通の顔して。すました顔して。しれっと。

人はそれだけ主観自らの認知だけで物事を判断している。今一度目を見開いて真実を見ようじゃないか。と呼びかけてみる。

というわけで今年もエンディングが近づいてきた。サイコパスの余韻に浸りつつ(笑)、この曲をお届けしたい。


エディット・ピアフ 愛の賛歌

それでは皆さん、2017年に別れを告げ2018年もまたココでお会いしましょう。

良いお年を!

追加参考資料:子どもの社会脳研究(3)教育心理学講座

この投稿には追加・関連投稿があります。

チャーリー(

JAPAN MENSA会員
情報処理安全確保支援士/登録情報セキュリティスペシャリスト(RISS)

AEAJアロマテラピー検定1級
AEAJ認定アロマテラピーアドバイザー
AEAJ認定環境カオリスタ
AEAJ認定アロマテラピーインストラクター
AEAJ認定アロマブレンドデザイナー
AEAJ個人正会員
JAMHAメディカルハーブ検定1級
JAMHA認定メディカルハーブコーディネーター
JAMHA認定ハーバルセラピスト
【国】ITパスポート試験合格(笑)。
【国】情報セキュリティマネジメント試験合格
【国】臭気判定士
薬学検定1級試験合格
HTML5プロフェッショナル認定資格 レベル1試験に合格。
個人情報保護士認定試験に合格。
情報セキュリティ管理士認定試験に合格。
【公】メンタルヘルス・マネジメント検定II種(ラインケアコース)試験に合格。
Comptia Security+試験合格。
SEA/J情報セキュリティ技術認定CSPM of Technical試験合格。
【国】危険物取扱者 乙種 第4類試験合格。
【国】情報処理安全確保支援士(旧情報セキュリティスペシャリスト)試験合格。
【国】ファイナンシャル・プランニング技能検定2級試験に合格。
【国】危険物取扱者 乙種 第2類、第3類試験合格。
心理学検定1級試験合格。
【国】登録販売者試験合格。
【国】危険物取扱者 乙種 第5類、第6類試験に合格。

チャーリーのタンブラー(毎日更新、日記・ブックマーク的な)


by charlie-ls | 2017-12-31 23:35 | 個人ブログ

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