考のバランス感覚について追求してみたい。

「EQ」「コミュニケーション能力」を例に掘り下げてみる。

現段階における「EQが高い」とは、結局のところ協調性(対人関係において摩擦を生じさせない能力)を示す確率が高く、ソレが高いとどうなるかと言えば、極めて当たり障りのないただのナイスガイでしかない。

※以降は「ただのナイスガイ」であり、“ナイスガイかつ天才”とか、EQで表現できない領域の能力も併せ持った人は除外する。

ではナイスガイが社会的に優位かというとそうでもなく、ナイスガイだが役に立たないよりは、一癖あるが役に立つ存在の方がイイんじゃないかという疑問が残る。

サーフボードを持った笑顔のナイスガイと、辺り構わずWindowsを扱き下ろすスティーブ・ジョブズの比較が明快だ。社会に必要とされるのはどちらだろうか。

長年かけてEQ推進派は少しづつ主張を変え、EQとリーダーシップ(いずれは“カリスマ性”だろう)をうまく関連付けようと試みているが、元々そうあるべきであり、そもそも社会の多くのシーンでナイスガイだから人の上に立てるわけではないので、EQスコアの頂点にナイスガイがいる時点で矛盾が生じる。

社会との整合性がとれないスコアは普及しない。高くても役に立たないから。

ではEQやコミュニケーション能力をどうやって判定するのか。

は以前、「エレベーターで目が合わないよう努力しなきゃいけないほどスタッフを罵倒し解雇するジョブズでも、従業者がついてくる(同じ方向を向かせる)」点を挙げた。

これは実に深いし、オモシロイ。

更にソレが“崇拝”化すると、「スティーブ・ジョブズに罵られている自分が好き」という人もいるだろう。想像に難くない。

ジョブズに罵られても仕事が楽しい人達とは、アップルという極めて高偏差値の集団の中で、更に突出したジョブズというカリスマから「罵ってもらえる対象」(すなわち期待されている)であるという満足感によるものと考えられる。

少なくとも期待もされず無視される対象ではない「他とは違う存在」であるという自己肯定感・承認欲求が満たされるという精神構造だ。

度を変えて恋愛で考えてみたい。例えば背が高く、極めてハンサムな男性の隣にいる女性とは、一般的に平均よりも背が低く、若干ぽっちゃり気味の決して美人でない事が多い。

自己評価の低い人は、社会的評価が高い人、または世間で人気のある人から愛されるもしくは可愛がられることで自分の心を満たす傾向がある。

日頃カレからダメオンナ呼ばわりされている女性が、「お金持ち(社会的成功者)の男性に認められることで女としての自信を取り戻す」なんていうのもその1つ。

いわゆる栄光浴

※かつての女性像とは学歴も職歴も問われずただ家庭に入ることを優先させられていたため、結局のところ、「旦那がどれだけスゴいのか」に終始する傾向が少なからずあった。今もなおソレを引きずっている女性もいる。

同性達は、アイツはただ顔がイイだけだろう、背が高いだけじゃないかと指摘してみるが、顔がイイだけでも満足する女性がいる。

要は、例え性格に多少の難ありでも、顔の良さ(「頭の良さ」に置き換えることもできる)で埋め合わせることができれば、相手の女性にとっては“問題なし”と判定されるということ。

見た目がいいとイイ対応を受けられるのは美人が代表例であり、ハンサムもまた女性受付の場において絶大な効果をもたらす。


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香水の都グラース(仏)からこんにちは。グラースからもおいでおいでと誘われている。モナコ、カンヌが近い。


行前に触れた“お金持ち”も強い。お金の心配・苦労をせずに済むのなら(多くの人にとって人生最大の課題だろう)、多少のことは(相手の性格とか)目をつぶっても十分なメリットがあると考える人も多い。

簡単な例で言えば、子育てにかかる費用や住まいのことでもめないとか、さっさと友達と旅行に行ってリフレッシュしてくる等が“可能”であり、摩擦が生じる前に負荷を分散させることができる。お金が潤滑油として働いている。

よって他人との関係性(摩擦を生まない力)とは、言葉によるコミュニケーションに限らないと考えられる。

世間の多くでは、この“目に見えない*緩衝材または潤滑油”が「能力」として認知されていない(或いは除外されている)ため、いかなるテストも実社会での活躍との乖離を生む原因だと言えるんじゃなかろうか。

と私は考えている。

*美貌は目に見えているんだがなぜか除外されやすい。

IQテストしかりだ。

私の考える思考のバランス感覚とは、そういったプラスマイナスを、実社会と整合性の取れる形で適切に判定できる能力を指す。

一言で言えば、需要と供給すなわち相場の判定能力であり、“全体”を捉える力。

この辺を今後「認知」と共に追求してみたい。

 

チャーリー(
JAPAN MENSA会員
情報処理安全確保支援士/登録情報セキュリティスペシャリスト(RISS)

AEAJアロマテラピー検定1級
AEAJ認定アロマテラピーアドバイザー
AEAJ認定環境カオリスタ
AEAJ認定アロマテラピーインストラクター
AEAJ認定アロマブレンドデザイナー
AEAJ個人正会員
JAMHAメディカルハーブ検定1級
JAMHA認定メディカルハーブコーディネーター
JAMHA認定ハーバルセラピスト
【国】ITパスポート試験合格(笑)。
【国】情報セキュリティマネジメント試験合格
【国】臭気判定士
薬学検定1級試験合格
HTML5プロフェッショナル認定資格 レベル1試験に合格。
個人情報保護士認定試験に合格。
情報セキュリティ管理士認定試験に合格。
【公】メンタルヘルス・マネジメント検定II種(ラインケアコース)試験に合格。
Comptia Security+試験合格。
SEA/J情報セキュリティ技術認定CSPM of Technical試験合格。
【国】危険物取扱者 乙種 第4類試験合格。
【国】情報処理安全確保支援士(旧情報セキュリティスペシャリスト)試験合格。
【国】ファイナンシャル・プランニング技能検定2級試験に合格。
【国】危険物取扱者 乙種 第2類、第3類試験合格。
心理学検定1級試験合格。
【国】登録販売者試験合格。
【国】危険物取扱者 乙種 第5類、第6類試験に合格。。
【国】危険物取扱者 乙種 第類試験1に合格。

チャーリーのタンブラー(毎日更新、日記・ブックマーク的な)


by charlie-ls | 2018-05-08 20:49 | 個人ブログ | Comments(2)

EQとは結局のところ何なのか。

まず1つ確定していることは、精確に測ることはできないということ。IQはそもそも問題の意味が解らない人が意識的に高いスコアを出すことはできないが、EQは国語力さえあれば、質問に対しどう答えたら高いスコアが出るかくらいはほとんどの“大人”にわかる。

だから(笑)、EQの方が一般的に人気がある。

そもそも、これといった正式なEQテストがあるわけではなく、「IQよりEQだ」論は自分が望む結果が出るまで引き続けられるおみくじや占いが根強い人気を誇ることに似ている。

が希望的観測に反して最近ではIQが上がるにつれ社会的能力(EQ)も上がるという結果も出ている。

「IQが高くても成功しない。EQが大切だ」と見聞きするが、両者は福引きのように引き換えられるものではなく、成功の秘訣を語るならば「IQに加えてEQも高くなければ」と考えるのが妥当なはずだが、なぜか世間では東か西かのように片側からのみ主張されることが曲解の始まりであり、自分の都合の良い側に付いているに過ぎない。

EQと略してしまったことも問題かもしれない。「Emotional Intelligence Quotient」はE-IQであり本来は知能指数の領域だと考えなくていいんだろうか。

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WikipediaによるとEQとは、

心の知能指数(こころのちのうしすう、: Emotional Intelligence Quotient、EQ)は、心の知能 (: Emotional Intelligence、EI) を測定する指標である。心の知能とは、自己や他者の感情を知覚し、また自分の感情をコントロールする知能を指す。--Wikipedia

であり、世間で考えられているものよりも複雑で高尚だ。

決して角が立たないように物事をうやむやに済ませ、出る杭にヤスリをかけ続ける平凡主義世渡り術を指しているわけではない。

日本人的に「空気を読み、自己主張しすぎない」と捉えるならば、他人の顔色をうかがい巧くやり過ごせる術のようにも受け取れるし、いわゆる集団行動における「協調性」を指しているかのようでもある。

メイヤーとサロベイの研究に対する批判として、ロバート等による研究がある[12]。この研究では、EQは実質的には協調性を計測しているのではないか、と警告を発している。これに対し、メイヤーらは、さらに自説を補強する理論を発表した[13]。とはいえ、多くの心理学者は、EQを知能の測定基準のひとつ(IQのような)とは認めていない。 --Wikipedia

実際、大凡EQとはその(「協調性」)ように認識されていて、思ったことをズバズバ言う人や、「いいえそれはできません」と主義主張を貫く人は、他人との距離感が巧く保てず「EQが低い」と認識している人が多い。

言ってみれば(特に日本における)EQとは「サラリーマン的コミュニケーション能力」と同義として浸透した。

そして同時に文系が理系を口撃する手段にもなっている(笑)。

が、「EQ」が誕生した狩猟民族・白人社会における定義は、日本人を含むアジア人などの農耕民族的な「なぁなぁ」術ではない。

これらはアドラー心理学の捉え方にも影響する重要なポイントだ。
※その関連性はまた次回以降に。

発祥:1920年、コロンビア大学のエドワード・ソーンダイクが、他人と付き合う能力を「社会的知性」として取り上げた[2]。--Wikipedia

会的知性。「社会的知性」には、言うまでもなく「知識」(一定の学力も指すだろう)や「教養」(場合によっては「育ち」も求められるかもしれない)などが含まれる。

“アホ”でもニヤニヤ・ヘラヘラして仲良くやってさえすれば社会的知性が高いと言えるわけではない。

私がEQはIQ配下にあると考えるのは、この社会(特に発祥の地であるアメリカの入り乱れる民族と宗教、文化=ダイバーシティ)に必要とされる「社会的知性」を身につけるには、観察・洞察・推察力=流動性知能が必要だからだ。

EQをスピーカーだとすれば、IQというアンプがなければ駆動できない。私はそう考える。

ではEQとは何か。
端的に言えばリーダーシップとしての能力だろう。なぜなら、その他大勢が持つ能力を「高い」と評価する合理的必要性がないから。

「自己や他者の感情を知覚する」とは、周囲に気を配り、全体を見渡し知覚するアンテナ力であり、「自分の感情をコントロールする知能」とは、個の主義・主張を抑え(捨てる必要はない)、公(組織)の任務を遂行できる能力だと考える。

農耕民族アジア人的な捉え方だと「自分のしたいことを我慢し堪える能力」となりそうだが少し違う。今「自分の利益」を何よりも優先して取りに行く価値・必要があるのかどうかを判断できる知性であって、欧州や南米の一流サッカーチームが良い例となる。

彼らは個人技もずば抜けているが、国を勝利に導くためにはキライなチームメートにもパスを出す。ロッカールームに戻れば殴り合いになるような同僚にでもだ。「個」の利益や感情、見栄、プライドよりも、「公」の利益と国民が求める勝利を追求する任務遂行型の協調性と言える。

「自己や他者の感情を知覚する」「自分の感情をコントロールする知能」のどちらも実践できている。

これらは「狩り」の文化からも見てとれる。1対1の戦闘能力(個人技)が高ければ妻や子供を飢えさせずに済むし、隣の旦那が貧弱で冴えなければ、食料を分け与えることで隣の奥さんからも愛される(笑)EQが高いと評価され、それが群れ中に広まる

しかし冬になり狩りが困難になると、例え「高EQマッチョ」であろうとも不安がよぎる。食料ストックが欲しい。そのために1対1では勝てない大物(マンモスとか)を捕りにいくならば、チームを組み「集団のルール」に従う必要がある。

当然獲物は「分け前」として共有する。上手く仲間に入れなかった人達は飢えるかもしれない。或いは狩りに言ったばかりに命を落とすかもしれない。結果に対して遡って「選択」の正当性が判断される。

狩りに参加した者たちは、必ずしも「仲良しグループ」ではなく、メンバーの好き嫌いよりも「群れ」や地域社会を優先することで、ひいては妻や子供の生活環境に安定をもたらすと考えての行動かもしれない。これらが「社会的知性」と言えるし、言わば「ストラテジ」(戦略)能力でもある。

だとすれば、米軍特殊部隊はEQが高いと言えるだろう。命を預け合い、国の利益のために職務を全うするのだから。

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し明らかに改革の必要な腐敗した集団において、例え波風立とうとも行動に出られない人は、自己愛が強く事なかれ主義であって、EQが高いとは言えない。波風立たない代わりにも役にも立たない。

なぜそう言えるのか。答えは結局の所「偏差値」(希少性)にある。

IQ(現在主流のDIQ=偏差IQ)の算出方法は偏差値と同じであり、母集団における出現率で計算する。

100人の中に2人いるだろう存在を偏差値70(以上)とし、それがIQならば130(以上)とする。即ち「上位2%」であり、存在していい絶対数(定員)が予め決まっている。

これにEQをあてはめると、サラリーマン的世渡り術をもってして「EQが高い」と算出しようものなら、サラリーマンの数に比例してEQが高いと思われる人の数が増えるから、母集団(日本人口)に対して極めて存在比率が高くなる。

存在する比率が高ければ高い程偏差値は下がっていくため、テストで高く評価される根拠がない。
※偏差値は「希少性」と捉えると解りやすい。

なぜなら「たくさんいる」時点でソレは優れた能力としては見なされず「当たり前」(すなわち「常識」)と認識するのが人間だからだ。

「常識」が備わっていない人と自分を比べて「優れている」というのならソレは間違いで、あくまで平均的なラインをクリアしたことを確認したにすぎない。

よって、滅多に存在しないタイプの人で「EQが高い」と評価されるだろう(べき)人は「リーダー」だ。優れた。

米軍特殊部隊に例えたが、「精鋭部隊」と言われる優秀なチームは個人技も優れ「出るところ譲るところ」を理解したEQ(社会的知性)の高い群れだと言える。それぞれがリーダーになる資質があっても、「今回のリーダー」に従う協調性を兼ね備えている。彼らは「プロジェクト」(招集・解散)型の任務を上手くこなすことができる。一般的には打ち解けるまでに時間がかかり、生産性が下がることが多い。

天才とEQ。スティーブ・ジョブズのEQは高いのか。』で問うてみたが、エレベーターで目が合わないよう努力しなきゃいけないほどスタッフを罵倒し解雇するジョブズでも、従業者がついてくる(同じ方向を向かせる)ということは結果としてEQが高いと言える。人の気持ちを前向きにさせるのだから。

言うまでもなく、能力のない者がジョブズの真似をしてスパルタ的コミュニケーションを導入しても、離職率が高まり終いにはパワハラで訴訟が起きる。結果としてEQが低いと言える。

IQとEQの大きな違いは、IQは検査結果で判明する値を持って知能が高いと言えるが、EQは成果を持って結論を出すしかない性質のものだ。

これは恋愛の結果に似ている。どんなにアンケート上「イイ人」であっても恋愛が成就するかというとそうではない。相手にとって「ペーパーイイ人」かどうかは「会うきっかけ」(書類選考の材料)にはなっても、その後はもっと重要視される要素が多々あり、人によって異なる。そして育まれた二人の愛の間において「イイ人」と認識され、当事者間ルールで決定付けられる。

それが、

EIに向けられる代表的な批判は、「EIを設定する基準がない」という批判である。IQテストの場合は学校の等級判定に近づくように設計されているが、EIに対してこのような基準となる等級がないと思われる。

と批判される由縁だろう。

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ョブズはパワハラで訴えられなくても、ジョブズを真似た者は訴えられる。人の心は水物で、基準を定めることはできないということ。恐らくそこには話し方、身のこなし、目つき、人間性、魅力、オーラ、スター性、カリスマ性など、科学的に証明することが難しい要素が複雑に絡み合っているからではなかろうか。

「なぜ私の方がはるかに歌が上手いのに、あんな下手な歌手が100万枚もCD売ってるワケ?」

的な。

少なくとも、人はアンタより「あんな下手な歌手」の方が好きだということは確定している。そこにケチを付けても、「私の方がEQが高い!」とか言っても人気は覆らない。

そう考えたら、検査結果を持って「私はIQが高い」と名乗ることはできても、「私はEQが高い」はとんだ思い上がりだということが言える。「IQよりEQだ」と言える人は、何に自信を持っているのか問うてみたい。

だから私はEQはノータッチだ。他人が決めることだから。

次回はEQと絡め、いよいよメインディッシュ(笑)の結晶性知能vs流動性知能について書いてみたい。

あとがき

チャーリー(
JAPAN MENSA会員

AEAJアロマテラピー検定1級
AEAJ認定アロマテラピーアドバイザー
AEAJ認定環境カオリスタ
AEAJ認定アロマテラピーインストラクター
AEAJ認定アロマブレンドデザイナー
AEAJ個人正会員
JAMHAメディカルハーブ検定1級
JAMHA認定メディカルハーブコーディネーター
JAMHA認定ハーバルセラピスト
【国】ITパスポート試験合格(笑)。
【国】情報セキュリティマネジメント試験合格
【国】臭気判定士
薬学検定1級試験合格
HTML5プロフェッショナル認定資格 レベル1試験に合格。
個人情報保護士認定試験に合格。
情報セキュリティ管理士認定試験に合格。
【公】メンタルヘルス・マネジメント検定II種(ラインケアコース)試験に合格。
Comptia Security+試験合格。
SEA/J情報セキュリティ技術認定CSPM of Technical試験合格。
【国】危険物取扱者 乙種 第4類試験合格。
【国】情報処理安全確保支援士(旧情報セキュリティスペシャリスト)試験合格。
【国】ファイナンシャル・プランニング技能検定2級試験に合格。

チャーリーのタンブラー(毎日更新、日記・ブックマーク的な)


by charlie-ls | 2017-07-09 11:28 | 個人ブログ | Comments(3)

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